第7回公演

アドバタイズドタイラント

2012/01/19~ 2012/01/22

d-倉庫

山本健介

伊神忠聡、大重わたる(夜ふかしの会)
岡野康弘(Mrs.fictions)、小見美幸、川田智美
菊沢将憲、北川未来、清水穂奈美
時田光洋、松原一郎、三嶋義信、善積元

舞台美術:泉真 舞台監督:桜井健太郎 照明:南 星(Quintet☆MYNYT) 音響:田中亮大 演出助手:吉田麻美/ブルー玲(blu-01 produce) Web:きだあやめ(elegirl label) 宣伝美術:サノアヤコ プリンティング・ディレクター:青山功(リトルウイング) 制作:大矢文 運営:塩田友克

売れるために私、
この手の中の私、
『そんなこと伝えないで、』だなんて私の声、
聞こえないよね

当然働かなければならないだろう。働かなければ生活は出来ない。
私は四年半前、就社に成功した。日本で3番目に大きな広告会社である。
媒体局の男は大体眼がぎらついている/腹が出ている/油断が出来ない/声がでかい。
私は中国の工場を、おそらく一個潰した。
そのことを告げたのは取引先の百貨店の男で、彼は何も仕事はしていないように(私には)思えた。
「あなたは鬼ですね。あなたが会った中国人の彼ら、今頃路頭に迷ってますよ」
私は、清涼飲料水のおまけの制作に携わった。
「これは発注したものではありませんね?(三日で習った中国語で。この言葉だけ、三日でマスターした)」「はい(流暢な日本語で)」「なぜ私の発注通りではないのですか?」「わたしにはわかりません(中国語で)」
小売なら、棚を持っている奴が強いという事になる。CM業界なら、枠を持っている奴らが強いという事になる。
私は二度とあの百貨店には買い物に行かないだろう。
棚が二列確保できるか、一列だけで終わってしまうのか。
億単位の金を扱っていると私達は錯覚をする。
私一人で、3億の「売り上げ」は出している。有能な人物なら、10億は出しているらしい。
私の体を通り過ぎる情報は、風に記録された文字のようだけれども、私はそれを金銭にかえ、彼氏との結婚資金としている。
彼からはもう三回くらいプロポーズをされた。

フリーパフォーマンス集団『自重自嘲団ハルトマン』の構成員達は22歳の大学卒業を迎えた歳に、東京の若手新人賞か何かを受賞し、「現代アートの若手五選!」とか「この若手達によりアートシーンは20年アツい!」とかそういうような感じで宣伝され、その後いろいろあって、あいつらは広告会社に魂を売った、だから都とか国とかに褒められたらおしまいだぜえ、と、美術手帳を読んでいたリュウセイ君に歩きながら説教されていた。
「資本に魂を売ったんだ。あいつらは丸くなった。昔はとがっていたし、祭りだったし、俺もそこを評価していた。作品なんかマジでどうかと思ってたし、戦争反対とか言ってるところも違うと思ってたけど、俺、プロのキャメラマンになって気がついたことがあるんだけど、資本に魂売る覚悟ないやつらが生きていこうとしたとして、俺は本当に俺は魂とか信じなくなってから、毎日幽霊に怯えなくてすむようになったんだ」
そういう私も実は商社に勤めていて、実は日本のチーズの1/4の流通に関わっているんだけれど、リュウセイ君の手前、実はもう私が就職していたこととか、リュウセイ君からもらった絵手紙をまだ大事に持ってるとか、明日5時起きなんだけどなって事を伝えずにいたら、なんだか泣きたくなってきて、幽霊の事は信じて欲しいなって。だって私もう一度、リュウセイ君の映画見たいよ。

地位と名誉と名声、評判というか、やってる感も必要だよね、と女も言う。
ここは東京とこちら側をわかつ川のほとりに立つ、9階建ての雑居ビルの一室。
川の流れは、台風にでもならないと、よくわからないはずだが、今はよくわかる。
この町はあと数日で、水の中に沈む。
川は水かさを増し、波が立っている。並みの輝きが反射しているのが、この窓からよくわかる。
かつて「新しい生活の提案」などを手掛けていたこの会社は――
「セイカツのテイアン?」
「トレンドプランナーとか、ライフプランナーって言うらしいんだけど、知ってた?」
「ジンセイのテイアンてこと?」
「知らないよね。生まれる前の出来事だもの。」
「新しい生活のテイアンって、何してたの?」
「資料は何も、残ってないけど」
――今は従業員は5名にもみたない、名義上だけ存在する会社である。
彼らは、何もないオフィスの段ボールに、ただ腰かけて話をしていた。
今日も川は静かだった。本当に流れているのか、分からないくらい。
「僕らのやっている事は、なんだろう。会社に出勤してくることだけ? 会社に参加してるだけ? 俺ってあれなのかな。俺達が今仕事してるって、出社してるって、ここにこうして居ることって、要するに金目当てなのかな。安定した生活っていうか……。」
「でも、私達は、何か人に褒められる、立派な事をしてるんだよね? 私、胸を張って印だよね? ここは現実だよね? 地獄なんかじゃ、ないんだよね?」
ここは、広告の会社である。彼らは「広告」について考えている。

 彼らは謝らなければならず、謝罪用の記者会見もセッティングされた。
 謝罪用の記者会見をセッティングする仕事、というのもあるのか、と、きびきび動くそれ用のスタッフを眺めて僕はぼんやり思っていた。
 パイプ椅子にすわり、あと1時間50分後に始まる会見を前にした彼らはどう反省し、何を語り、どう釈明するのだろう。僕もまた、謝らなければならない。何かを語らなくてはならない。謝罪しなければならない。確かにそれは、不謹慎のそしりは免れないものだろう、と今にしてみれば思う。あの災害がなければ、という言葉は何度もよぎっている。でも彼らの『作品』を、あえてあの災害以後、『広告』のモチーフにしようとプレゼンをしたのは僕だ。彼らを発掘したのも僕だ、という自負もある。誰も止めなかったし、セクションの皆も、苦笑いしながらも許容してくれていたはずだ。
 去年の夏は、海がなかった。
 海に関連するコマーシャルの企画は、昨年の三月のあの災害を契機に全て別のモチーフに変更された。去年のいまごろ、僕はその変更作業に忙殺されていたのを思い出す。去年の夏は、水着も浜辺も日差しもなかった。
 「海がなかったなあ」と独り言を言った。
 彼らは無言だった。「不謹慎」の「謝罪」を前に、大事に言葉をとっておいている様だった。パイプ椅子がきしむ。スーツの似合わない茶髪からはシャンプーか何かのいい匂いがする。20代前半の匂いだ。僕はもうすぐ29歳になる。でも僕の体はきっと30になる前に死ぬんだろうな。タバコ吸いすぎだし、酒で最近腹がやばいし目がもうずっとしみた感じで痛いし、なによりこの町は、あの時からとっくに汚染されてたっていうし。