第10回公演

30光年先のガールズエンド

2015/04/08~ 2015/04/12

早稲田小劇場どらま館

山本健介

伊神忠聡 後東ようこ 清水穂奈美 菅原佳子
浜口寛子 三嶋義信 山本美緒 善積元

音楽 まがりかど、演出助手 吉田麻美、鈴木海斗(劇工舎プリズム)、制作 elegirl、制作補佐 土肥天(創作集団ヒルノツキ/劇団森)、音響 田中亮大、照明 みなみあかり(ACoRD)、舞台監督 櫻井健太郎、吉成生子

知ってる星に居なかった今の私を見ようとしないあなたたちに、
思い出せないくらい遠い場所にいて18年間立っていた、
私たちの身体たちへ

1

「女に出会ってばかりの国」、という奇妙な偽名のフリーライターに、私たちのバンドの説明をしている。
 私たちは18歳のガールズロックバンドだ。ついこの間まで17歳だった。17歳だったので「17歳」という曲も作った。でも私たちは18歳になっていた。その歌を今歌っていいのか、なんて、18になるまでは思いもしなかった。
「私たちはロックバンドです。私たちは音楽で世界を変えたいと思っています。私はライブハウスの、青とオレンジの光が好きです。聞いて下さい。私たちは」/「あなた方は女子高生ガールズロックバンドとして今凄く話題ですよね」と「女に出会ってばかりの国」は私たちから言葉を奪う。「ライブハウスは皆さんが出るとすぐにソールドアウトになるそうですね」「素朴な演奏に男性のファンから熱心に押されているとか」「ギターの弦を押さえはじめたのはわずか数ヶ月前だと聞きますが」「女子高生バンドなのになんで制服を着ないのですか?」
「着たんだよ、制服、この間久しぶりに」
 と、ギターを担当している私の姉、とはいえ双子なので同い年なのだけれど、とんでもない事を言うなと思った。私たちは30歳だった。ついこの間まで18歳だった気がする。バンドもやっていた。18歳だったので「女子高生ガールズロックバンド」として凄く話題だった。あのころはライブハウスの青とオレンジの光が新鮮だった。だけど高校を卒業したので、私たちは「女子高生ガールズロックバンド」ではいられなくなった。
「何で制服なんかきたの?」「着ろって言われたん」「男に?」18歳の私たちには分からなかった。女子高生ではない私たちが制服を着ると言う事がどれだけどうしようもない事なのかとか、30光年先にある未来のまがりかどで、私たちが弦を押さえる指を触りたがる男がいると言う事も。
 そんな私たちが、30歳光年過去の音楽スタジオで一人あたり2000円のスタジオ代をはらっている時間を遣って、ライターのインタビューを受けている。私はそこに、もし制服を着てそこに立ったら、「女に出会ってばかりの国」は、18歳の私と30歳の私を、間違えるだろうか。双子の私たちの違いも見抜けない男のインタビュアーに、本当は歌を歌い続けるはずだった口から、「音楽で世界を変えたい」と、今も、制服を着なくなった私の体から、言う事が出来るのだろうか。青がオレンジに染りつつある夕焼けの空の帰り道は、今の私にとってただの、物理的な移動になってしまったのだろうか。

2

 音楽がなければ友達にすらならなかったであろう双子が、目の前でぶっ倒れていて、私は後方やや左にいながら、倒れている双子の、姉だか妹だか、この茶色の頭はとりあえず姉の方だけれど、膝枕をしてあげていると思う。
 この双子は飲酒するとぶっ倒れるので、飲酒してもぶっ倒れない私が大体頭を支える事になっていた。とはいえ私の身体は双子と違い一つしかなく、もう一人の妹の頭はだから、コンクリートの床にごろんとボーリングのたまみたいに転がっていて、あー痛そうだなあと思った。
 双子が酒に弱く道端で何の前フリもなくぶっ倒れる事を発見したのは21歳の時の事である。18歳でライブハウスで知り合った私たちは、逆算すると、12年間、友達とは微妙に違う関係性を築いていた。具体的に言うと、酔っぱらって床で寝る頭に、膝を乗せてやるような関係。私たちはバンドを組んでいた。音楽がなければ、きっとこんな子、知りあってもなかった。
「ほっときなよう」といった内容を口走ったかもしれないもう一人のメンバーのドラムの子。深夜ますます目がキラキラになり、もともと美少女だった身体と顔はだから、この4人のバンドの内ただ一人だけ20を過ぎて美人に無事なって30にもなってまだ美人だから今日は終電一つ手前の電車で帰った。それでよかったと思う。こんな深夜路上で何もしなかったら、ドラム子はさらわれてしまう。美人だからだ。だいいち双子はそもそもキキララみたいで可愛いし、じゃあ私は何かって言うと、なんだろう。ふと横を見ると、もう閉店して格子のシャッターが閉まっている銀行の、自動ドアガラスの反射する暗闇に私の白い顔が映っている。まるでおばけみたいだ。

 キキララ、キキララ、美人、おばけ。
 おばけか私。
 おばけだったらどうしようか。それじゃあ、ここに実在しないんじゃないかな。
 だって30歳の今の私は、私は国語教師になっているはずだった。

 今日は不登校の生徒の家に訪問して、親御さんと話しをして、出席日数の話をして、そして教科書の中の『山月記』は絶対読んでほしい、絶対読んでほしい、今は分からなくても、「何処か(非常に微妙な点に於て)欠けるところ」が、分かる時が来るからと、なぜか口を突いて吐き出すように漏れ出てしまい、不登校の女子は、まるで私みたいに白い顔を浮かべながら、不思議そうにコクンとうなづく。
 今日はそんな日だったような気がするのに。
 なんで私、18歳の時の皆と一緒にいるんだろう。私は生まれてきたときからずっと国語の先生の勉強をしていて、家族も全員教師で、おじいちゃんは私立の高校の理事長で、私、初めて受け持ったクラスの子が不登校で、でもおかしいな、なんで私あの時、18歳の時、ライブハウスにいたんだろう。なんで高校の教師にならなきゃいけない私が、バンドなんか組んだんだろう。18歳の私は、どうしてあえてまがりかどを曲がるような、自分にとって必要かどうか分からない廻り道をしていたんだろう。ねえ教えて。私はおばけなのかな。それとも、皆とちゃんと音楽、出来てたのかな。私のベース、ズレてないかな。うまくない私のベースで、足引っ張ってないかな。

 双子が寝がえりを打つ時は同時だ。
 ゴロン、と同じ方向に転がる。姉のほうの頭は私の膝から落ちて、ゴンとコンクリートに音を立てる。痛そう。たんこぶ出来たかも。
「ねえ、教えて」
 わたし教師なのに、教えてだって。

「私のじんせいで、こうしてみんなとバンドした時間は、無駄じゃなかった?」って言う言葉は、深夜の学生街の喧噪のなかに消える。学生街で酔いつぶれるなんてかっこうわるい。30歳のする事じゃないよねって思いながら、私は私の青春を、肯定してあげられるのかどうか。あのころとかわらず学生街はあるけれど、お酒飲んで路上に正座して見るそれは時々墓標の群のようにも見えて。あれからもう12年経ったというのに、この街はかわらずあるけど、思い出ばかりで。

3

 「ニューゲーム」は本当は音楽スタジオじゃなくて、そもそも音を出すと周辺の住民からクレームが来るので、だから録音の時以外はドラムのコンちゃん、そのへんの布やその日の服をドラムにかけたり詰め込んだりしてがんばってミュートしてるんだけど、だからコンちゃんがドラム叩く時は着ていた上着脱いでだからそれはそれはセクシーなタンクトップで腕細いなあとか、おっぱい小さいけど伱間から見えそうかもなあと思ったりして、それでもコンちゃん時々防音扉閉めてない時でもミュートしないでトンカトカトカドラム叩いちゃったりしてそれ、もっとちょっと空気読んだ方がいいんじゃないかなとか空気読めないコンちゃんもステキでかわいくていかにも面倒くさいミュージシャンぽいぽいぽいなあと思う。それは私が思うにコンちゃんはかなりの美人で、きっと彼氏もいるんだろうなって周辺にも実際思われてて、想われてて、実際彼氏なんていないのにまるで空想上の彼氏がコンちゃんの周辺に必ずいつも一人いていつもチヤホヤしてるみたいだ、だから彼氏出来ないんだろうなって、一回だけあの子たちのバンドの練習風景を見た部外者の私はそんな風に思ってた。
 そして双子はバンド組む時、私じゃなくてこんな美人なコンちゃんに話しかけたんだなあって思った。
 よくこんな美人に話しかけたんだなあと思うと同時に、それは当然の成り行きと言うか、そもそも私はドラムを叩けないし私はそもそもいろいろと足りないし足りないし。あの子たちに足りないのはドラムとベース。リズムがあの二人には足りなかった。私はベースもドラムも持ってなかったしそもそもそも絶望的に律動が足りない。たとえドラムが出来たとしても、私はコンちゃんよりかわいくない。
 双子は私にわりに率直に「おまえはー」と(シンクロして)いい、ディズニーランドにいる時みたいな日常みたいに「おまえはー」「おまえとはゼロから何かをつくることはできない」みたいなことをわりとハッキリと、ディズニーから帰る青がわりあい早くオレンジになりがちな夕暮れの井の頭線で言われてみたり、よくしてた。
 双子は私としか遊ばなかった。私も双子としか遊ばなかった、双子は二人とも高校が違う。私も双子と高校も違うし生き方も違うし、そもそも国籍も違う。この国の人達と、そもそもの血が違う。でもずっとずっとずっと遊ぶのは双子だった。ラインがちりんちりん言う時もかならず双子のどちらかで/どちらもだ。双子の片方がいない時ももう片方と遊ぶし、双子の片方がへらへら笑う時私もへらんへらん笑う。私はなんだか双子の2倍遊んでいるような気がする。だから双子が二人揃った時、間に立った私はいつも、オセロのようにくるんとひっくりかえっていたんじゃないか。
 私達が18歳の時に取り壊されると聞いていた無許可音楽スタジオ「ニューゲーム」は、結局取り壊されないまま、地権者が遷ったり責任者がお金ごときで自殺したり誰も手がつけられないまま、結局もう一度、「ニューゲーム」として運営出来ることになったって話を、だからさっきからしてるんだけど、スタジオじゃなくて、正規の音楽スタジオ「ニューゲーム」としてここはあのころみたいに元に戻る。かつて風営法だが消防法だかなんだかで、ちゃんと音が出せなかったのが、今度からは出来るようになる。あのころに出来なかった事が、昔と何も変わってないように見えるこの場所で、正式にできるようになる。
 でも私は古い「ニューゲーム」には、一回しか行った事がない。それは双子が、私以外の人を選んだ人達と、真剣に、遊びじゃなく真剣に、誰かと一緒に居られる貴重な時間だったから。バンドやってる人って本当凄いなと思うし、だってあの子たちがバンド組んでから、双子は風邪でもないのにマスクするのをやめたし、マックでゴミと一緒におぼんをゴミ箱に捨てなくなったしすごい成長したし、私は友達だから、真剣な二人を邪魔しちゃいけないから、ずっと「ニューゲーム」に近づいちゃいけないと思っていたし、関心もなかったし、さびしくもなかった。
 双子の妹がキーボードを叩き、双子の姉がギターの弦を厳しく厳しくぎゅっと押さえ続けているころ、私はようやく両肩から羽を広げて、本当の自分になっていた気がする。
 だからね、だから、当時私は男の子と話す事も絶対出来なかったし、あなた以外に私は一度だって女子として、女の子として、優しくされたりもしなかったし、あなただけ、あなただけ私なんかを双子でもないのにディズニーランドに連れていってくれたりとか、そんなふうにあなたはしたけど、だからね、ねぇ聞いてよ。ねぇ聞いてんの? 私はちゃんとしなきゃって。双子が音楽をやっている間。音楽を、やっていた後も、ゆれる地面でゆれる弦を押さえきれなくなったあの時から。もう私、はたらくし、私コンちゃんより空気読めるし、仕事しなきゃって。双子と違って私はちゃんとした仕事しなきゃって。男の人とも普通に話さなきゃって、思って、想って、だからあなたと話したけど、話しかけたけど、話したけどだめで、諦めて、あなた以外にも好きな人がんばってつくって、付き合ったけどだめで、浮気したけどだめで、ハムの、ハムの人、ハムいつもくれるハムの人と浮気したけどダメで、それでもう一度元に戻ろうとして元カレに、話しをしようよって元カレに浮気相手のハムの人の話、何回も何回もしたけど聞かなくて、ねえ、だから、話をしてよ。そう言う話、わたし今話ししてるじゃん。なんで私が「ニューゲーム」に行きたくないか。どんな顔して一人になっちゃった双子に会いに行けばいいか。勇気もってけっこう話してるじゃん今。知らないふりしないで。そっぽむかないで。雨ふらないで。こんな時、雨降らないで。唯一一回だけニューゲームに行った時もこんな雨の日で、双子の姉の方の、もういない方に忘れていった傘、「ニューゲーム」に持って行ってあげた夕暮れ、帰りに私がずぶぬれになったっていう話。そんな話を、話をしようよ。ねぇ。聞いてんの? そんなよく動いて落ちる雨のしずくばっかり、みないで。

4

 スタジオに行くって事がこんなに緊張しなきゃいけないことだったのかと思いながら、学生でごった返す駅から伸びるぬるりとした坂を上っている。結婚してからこの街に足を踏み入れることはなかったし、そもそも坂なんてしばらく登ってなかった。世の中にはウォーキングをした方がいい妊婦と、別にしなくてもどっちでもいい妊婦と二種類いて、私は後者を選んだ。選んだというより、まあ別に私は仕事してるし、仕事とウォーキングの面倒くささ大変さはどっこいだろうと思っていたし、みたいなことを”誰か”に話せば、きっと「変わってないな―お前は」と誰かに言われるかもしれない。
 “誰か。”
 誰かって誰だろう。すくなくともそれは旦那ではないのか。旦那ではない誰かに、こんなどうでもいい事を話しかけるかもしれなんてすごい久しぶりかもしれない。
 18だったころ、私の周りにはいろんな人がいて、だからいろんな風に話しかけてた。一緒にバンドを組んでいた双子には「よく知らない人にそんな喋れるねー」と声をそろえて呆れられていたけれど、”誰か”と言うのは常に何かしら話しかけてくれるし、テニスみたいに、ボールが飛んで来ればそれ、自然に打ち返すでしょ、みたいなノリで、そんなかんじでぱんぽん話していたような気がするし今だって基本的にそう、でもあとあと旦那に聞いたんだけど「テニスは相手のコート内にボールを打ち返さないと得点にならないんだよ」と教えられた。とはいえ私はテニスなんてした事がない。大学でテニスをしていたのは旦那だった。旦那が打ち返した緑のボールはいつだって高く高く、青空に向かって吸いこまれていく。テニスなんかしている旦那を、出会ったころは軽蔑していた。音楽やってない人間なんてなんてくだらないんだろう、って。
 双子のどっちかからメールが来て、「スタジオが復活するからスタジオで飲もう」とかいう相変わらずの謎の内容。旦那と相談して、絶対にお酒は飲まないという約束をして誓って契って、心配だから途中の駅まで一緒に行くというので一緒に電車に乗って、でも旦那と一緒にこの街には足を踏み入れたくないなと思いはじめて電車内で不機嫌になっていく。旦那は私が不機嫌になる理由が分からなくて、少しいらいらしている。そのいらいらを必死に隠そうとしている。それを優しさだと思っている。その優しさに、私は気づいているし、感謝もしている。でもそんな所まで感謝しなきゃいけないの? とも思って、だから不機嫌さは隠さないつもりだ。私は旦那に対して、嘘はつきたくない。
 駅で、というか、旦那にはこの街の駅にすら降りてほしくないので「そのまま電車に乗ってて」と言って飛びだすように電車のドアを出たのだけれど、ドアが閉まる前に「一人でいけるか」と旦那に聞かれて、それ、身体を気遣ってくれたつもりなんだろうけど、と、私が振り向いて返事をしようとしたら電車は、井の頭線は、プシューと音をたててドアがしまった。旦那はドアの窓のむこう。西日が窓に反射してもうその顔は見えない。「井の頭線は、発車いたします。ご注意ください」
 そうか、井の頭線に乗っていたのか私は、一人になった時に実感した。私が移動のために乗っていた電車は、井の頭線だったのか。井の頭線は30歳の私にとって、ただの移動のための電車になってしまっていたのか。
 音楽スタジオ「ニューゲーム」。
 月曜18時から22時。私たちはかつて、駅からのなだらかな坂の上にあるこの個人スタジオにて、バンドを存続させるために定期的に会って練習していた。1週間に一度のペースで、同い年のあの子たちに会っていたことになる。何故かきまって挨拶は「ひさしぶりぽよー」だった。別に週の中くらいで会っていたとしても、「ひさしぶりぽよー」と言っていたのを思い出す。
 双子はなんだかんだケンカしながら来るので別々に来るけど結果遅刻が多く、そして私も当然遅刻するし、結局だからベースやってるあの子がいつもスタジオの予約や手続きをしてくれて、あのやたら臭いマイクや端子やケーブルを受付で借りて、誰もいなくて静かなスタジオの中で一人準備して待っていてくれて。ああそうだ、12年くらい経った今日も変わらず私は彼女の待つスタジオに遅刻している。遅刻魔の私。あの頃と何も変わってない。「ニューゲーム」の外観も、ほとんど変わっていない。風圧の関係で重いドアや、ドアに至る老化の禿げかけた床の木目、廊下脇に放置してある捨てた方がいいケーブル類、不燃ごみから拾ってきたソファー達。
ここは、何もかも変わらなすぎなんじゃないだろうか。
 いいえ、変わった。変わったと思う。18歳の時の自分と、30歳になってしまった自分はこんなに変わってしまった。だって18歳の私は、まだ旦那に出会ってもなかったし、化粧した時化粧水が肌にしみ込んで馴染むなんて感覚は思いもしなかった。18の頃はラブソングが作れなかったし、万が一間違って彼氏が出来たらきっと割と高い指輪貰ったりイルミネーションを見に行ったりするんだろうなとも思っていたし、私は一生ドラムを叩いて暮らして行くんだから絶対に結婚や就職なんてしないとか思っていたし、でも私にとって働かない道を選択するほど守りたいリズムビートなんてなかったこと、少しでも異性にモテたかったら今すぐその髪型をやめたほうがよかったこと、喋るばっかりではなく男の話の聞き役に回っているとかなり簡単に彼氏なんて2、3人くらい大量に出来てしまう事、彼氏が出来たからってイルミネーションは30にもなって一度も見せてもらえなかったこと、男の作ってくれる料理はお美味しい事、でもその美味しさが自分をこんなに苛立たせるのかと思う事、男の言う「責任」は結局「経済」という点だけだったこと、酒を飲むと血を吐いてしまう事、結婚生活は意外と楽しい事、ドラマーとして生きるチャンスは今まで何回もあったけどそのことごとくをやる気不足で逃してしまう事、私はあんたたちの都合のいいメトロノームじゃないって叫んだ夜の事を、18歳の彼女は知らない。私は変わった。それらの点を、今の私は知っている。30歳の私は知っている。だから、怖い。このスタジオに入るという事は。この二重ドアの向うに、スティックを構えたあのころの私がいて、一番かわいくて美しくてきらきらな才能にあふれて空気を読まないでみんなに迷惑かけまくって輝く何者かがいて、つまらない物を見れば吐き捨てるように軽蔑していた私が、決して泣いたり立ち止まって動けなくなったりしないような私が、30歳になってお酒の飲めない肝臓になったけどかなり幸せで楽しい毎日を送っている私を、どう音楽で殺してくれるんだろう。
 ロックンロール。思い出した。私たちはロックバンドだった。転がりながら流れに抵抗しつづける岩。私たちはロックンロールだった。今はどうなのか、私はいったい誰なのか。30歳には分からない事が多い事を、きらきらに光輝く幼い彼女よりは知っている。

音楽・まがりかど「青とオレンジ」
歌・浜口寛子
映像撮影・ワタナベカズキ
写真撮影・飯田奈海