15 minutes made参加作品

私たちの考えた墓に入る日の前日のこと

2015年7月8日~14日

王子小劇場

山本健介

伊神忠聡 宇都有里紗 榎本純 中野あき

とまどいながら
問いかけていた
止まったままの
弔いのこと

 日差しが異様に暑い感じなので、ともすれば暑い顔とかすれば暑がれるんじゃないだろうかとも思ったけれど、やっぱり死んでしまうと感覚としては無で。だからなのか「日差しっていう感覚自体懐かしいな」とか思ってしまうあたり、僕はつくづく死んでしまったんだなあと思う。

「共同墓地を作るらしいのですが、皆さんはどう思いますか?」

 みたいなことを聞いて回ろうと思ったのは、今度建設される共同墓地に弔われるらしいという事になり、あー一応弔ってくれるんだなーと思いながら、え、誰に? という事をふと思った。

 夏の一番暑い時期だ。

 それで僕はとりあえず生き返って(死んではいるんだけれど)墓地が作られる街の人々に話を聞くことになった。共同墓地の計画は、その自治体が計画しているもので、本来だったら僕なんかが横やりを入れるスキマなんてないとは思うけれど、一応、このあたりに僕の死体が流されてきて死んだという事実と、あと一緒に流されて死んでるはずだった女の子が今も住んでる街だという事で、まあ、縁がないわけではなくて。それで、街の人々に、「共同墓地の是非について」死んでいる人の立場から街の人に聞き込みをする、という事を、地域の青年団のモブ君という青年に仲介してもらって、することになったのだ。

「なんか僕を弔ってくれる共同墓地? ができるみたいなんですけど、どうですか墓地。ていうか、弔い? 地域の人的に、どんな感じですか? ウザいとかやっぱ、そういう感じですか?」

 僕はこんなパブリックな感じと連動して仕事したことがないから、住民の方にどう聞いたらいいか、よくわからない。だいたい、死んでる人からそんな質問されたら、街の人もきっと困るだろうなあと思ってはいたけれど、意外にも街の人々は優しく答えてくれる。僕が死んでるからかもしれない。逆に僕も死んでから、他人にたいして怖いとか、ヘンに遠慮とかしなくなったなーと思った。わりとずけずけと話聞きに行くし、出されたお茶をずけずけ飲むし(厳密にいうとお供えされたお茶の「気配」を飲むのだけれど、この辺は実際に死んだり、死んだ人が身内にいてお供え物をしたことがある人なら分かるあるあるだと思う)。

 まあ、どうせ死んでるんだから、という開き直りが、逆に良かったのかもしれない。

 口を閉ざす人もいたし、茫然として何も答えない人もいた。

 それは当然だろうなーとも思った。やっぱり僕は死んでるわけで、死んでる人間が話しかけてきて、しかも「弔いしましたか?」という質問は卑怯な気がする。叱られている、みたいなニュアンスにとっちゃうのか。

 だいたい、僕の死に方もよくなかった。ちょっと皆に同情を買うような死に方だったし。
 でもねー、ああいう風に死んでしまうと、死の当事者として、あまりにも実感がないし、誰を恨むとか、いや、恨もうと思えばいろいろ恨めるけれど、なんかこう、逆に「うらめしやー」ってテンションを上げないと恨めないのは、生前の教育のせいだろうか。本当だったら、死者代表としてガンガン恨んでいかなきゃいけない所だけれど、なんでだろうな。なんでこんなに、頑張れないかなー。「うらめしやー」って言ってると、なんか笑っちゃうんだけど。

 まひる、という女の子は、スキあらば僕の腕を触ろうとする。

 まひるとは、一緒にこの街に流されてきた仲だ。生前は特に面識はなかった。僕は死んで、まひるはいろいろあって生き延びて、へーって思って挨拶したらなんか話したりするようになった。

 腕を触られそうになることについて、一応僕も死んでる人間として、生きてる人間に触られるわけにはいかないなーという自覚があるので、ことあるごとにひょいっとかわしている。そうすると、まひるは、ぷーという顔をする。僕は死んでるんだけどな。で、あんたは生き残ったんだけどな。そういう事を思っていると、まひるはエスパーなのか、

「死んでる人だけが死んでるなんて思わないでくださいね」

 とか鋭い事を言う。生きてるくせに。まるで死んでる人間側のようにしゃべりやがって。

 でもまひるはもう少しで死ぬのは知ってる。死因は僕とおんなじだし、だから立場だってこの先同じになるんだけれど、でも、まだ、まひるは、生きてるんだから。そのへんのけじめはしっかりつけてほしい。

 逆にいえば、共同墓地反対派のアリガさんは、どうしても僕と同じ立場にはなれないんだろうなあと思った。アリガさんはいろいろと精神的な理由のせいで、外出ができない。そんなアリガさんのいる窓の外には、共同墓地の建築予定の枠組みが、まるで骸骨のように組み立てられていて。

「結局、誰のためのお墓なんですか? 死んでるさんは、あのお墓、本当に必要だと思いますか?」

 僕は、どっちなんだろう。

 弔われる側として、もちろん、共同墓地を作ってほしいというテイではいるけれど、でもどうでもいいというか、アリガさんの立場になって考えると、なんでだよ、という気持ちだってわかる。

 というか、死んでる人間が、墓地について、何か意見してもいいものなのかどうか。

 共同墓地について意見を、たまたま聞いているけれど、僕が介入していい理屈はどこにあるんだろう。たまたま、ちょっと前まで生きてて、今は死んでるという僕が、この街にそんなに縁がないのに、お墓について、あれやこれや、思う資格はあるのだろうか。そりゃ死者である以上、弔いについて多少の思い入れはあるけれど、お墓がなくても弔いはできる。むしろ、お墓以外で弔いをするのが、本当の意味での弔ないなんじゃないかとも思うけれど、そもそも死んだ人間は弔ってもらいこそすれ、弔う立場にはなれないんだから、当事者じゃあ、ないんだから、本当はそんな、お墓について、あれこれ生きてる人に聞くなんて、ヘンな話なんじゃないだろうか。

 そんなことをいろいろしていたら、どうも僕はいつの間にか弔われてしまったらしく、明日にはお墓の中に入るらしい。作られる共同墓地ではなく、普通の、個人のお墓に入るそうだ。

 「地縛霊にならなくてよかったっスねー」と街の青年団のモブ君は笑顔でいうけれど、まあ、そうなんだろう。地縛霊にならなくて本当に良かった。僕はツイてる。

 だけどなあ。

 僕が死んだ後、建設中の共同墓地はどうなるんだろう。

 関係ない、僕は当事者じゃない。そこに入るわけでもなければ、弔われも、弔いもしない。

 それでも、何かの縁で、僕を弔うかもしれなかった人々と、僕をつなぐかもしれなかった施設ができようとしている。できようとしていた。できるかもしれない。できないかもしれない。僕には何もできない。

 そのつながりは、僕の腕をさわろうとする細い腕ほどに、どうしようもない仕方のなさと、ある種の切実さ、もろさが、あるような気がしてならないんだ。

Mrs.fictions主催”15 minutes made”出演団体
第27班/20歳の国/The end of company ジエン社/シンクロ少女/MU/Mrs.fictions