「30光年のガールズエンド」演出ノート

 公演のアテもなくインタビューをしていたのは去年のこの時期くらいだった。
 たまたま出会ったガールズバンドのミュージシャンたち、妊婦、国語教師、最近高級娼婦になった人、疲れている人、などなど。とりあえず、「18歳と30歳」という漠然としたキーワードで、いろいろ話を聞きに行ったのだった。
 去年の自分をとりまく環境は、まったく演劇できる環境でもなかった気がする。とにかくお金がなかった。そしてバイトもしていない。健康保険も払っていないので、なんかずっと歯がおかしい気がしているが「よく歯磨きをしている」くらいしか対処していなかった。(それはいまも続いている。)それでも、漠然と「演劇やるんだろうなあ」と思いながら、興味深い人に対してテレコを回したり話したり。あれだ、「人と話したいなあ」と思っていると、思うだけで、いろんな人と話ができるチャンスがあるんだなあと思った。けっこう思えば、話せるのだった。話せると聞けば、喫茶店に行く。話を聞く。とはいえ、私はあんまり人と話すのがうまいタイプではない。気が付けば自分が一方的にぺらぺらしゃべっていることもしばしばだ。それでも、人と話す。人と話す、といいつつも、その対象はなんとなく「年下」で「女性」であるパターンが多かった。なんとなくこれは、エロいんではないか?
 エロかどうかわからないが、しかし、そもそも話を聞こうと思ったきっかけになったのは「年下の女性のガールズバンド」たちのライブを見てからだ。彼女らが「自分たちはロックバンドです」と、なんだかよくわからないMCを聞き、「ロックって何なんだ」と思ったのが大きなきっかけだ。
 そしてその時、あまりにも失礼な直観が、彼女たちを見て思った。「彼女らは今の自分の年齢(当時30歳)になった時、楽器を手にしていないんじゃないか?」というやつ。そんな失礼な直観を思いながら、そのバンドのライブをずーっと見続けていた。年下の、ガールズバンドに熱心に見に行く30歳のおじさん。これは、いわば、アイドル萌えをしているおじさんと、やってることは同じなのではないか。疲れたおじさんが、若いアイドルにハマるという。構造からみて、何が違うのかと自問自答したのが第二の疑問だったり。
「いや、彼女らはアイドルではない、ミュージシャンだ」という内側向けの言い訳が、ずいぶんとなんだかなー感だ。音楽について、ほとんど僕には教養がない。彼女らの音楽を僕は素晴らしいと思ったけれど、どう素晴らしいかと思っても、うまく説明できない。わからない。
 わからなかったら、聞くしかない。そこで、彼女らに聞くことにしたのだった。音楽について。年齢について。未来について。疲れていることについて。自分がいつ、美しいと思えたのかについて。いろいろな疑問が出る。そのうち、彼女ら以外にも聞くことにしたのだった。
で、わからない。勉強もした。「チャックベリーという人がロックを始めたらしいが、まだ生きてるらしい」とか「国が徴兵をやらなくなって、突然2年くらい暇になったので、男子たちがぼんやり楽器を持ち始めたらロックになったらしい」とか、いろいろ知る。知るけど、これもまたよくわからない。
 30歳の国語教師、というけど、彼女は大学のサークル劇団の同期だった。彼女は、ちゃんと大人になっていた。大人にならなきゃいけないとのことだった。「24歳で担任になった時、私は自分自身に、私は子供だから、という言い訳を、やめるようにしました」。彼女は24歳で大人になった。
 あと、同い年の人妻。長野県に二人と北海道に一人、計3人の愛人のいる、昔プロの愛人として生活していた人に、「今後の目標は?」と聞いたら、「恋愛をがんばる」と言われた。このエピソードは今回採用してない。してないが、彼女も30歳だった。
 アメリカから映画留学でやってきたというブロンド美人に「自分が美しいという事を、何歳で気が付きましたか?」と聞くと「女性の美しさは、常に更新され、鏡を見るたび発見され続ける。ショートカットにしたとき、14歳になった時、失恋したとき、私は自分の美を発見しつづけてきた」とのこと。外国人の回答はかっこいいなーと思いながら、というか途中から、たくさんの女の人に出会って、俺何の質問してるんだろう。わからない。この質問が、ロックンロールがわかることに近づいているのか。なんでプロの愛人に「今後の目標」なんか聞いているのか、もう自分でもなんだかまるでわからない。
 そんなことやったり『桐島TRPG』など作ったり31歳になったり奥歯がますます欠けたりと迷走しているうちに9月、突然、早稲田の演劇博物館の館長である岡室先生に呼び出しを食らい、31歳で職員室に行く。そこで4月、演劇をやらないかといわれて、それでやりますといったのだった。わからない。わからないことが続く。こんなにわからないかなと思った。しかし、わかるチャンスをもらったなと思った。
「演劇の公演ができる。」
演劇の公演とは、きっと僕にとって、何かがわかるための、考えるツールなのかもしれない。
 話は飛ぶ。先日、今回のお芝居の音楽提供と、脚本の元ネタになったバンドのライブを見に行った。終演後、サラダ食べたりする機会を作ってくれたんだけど、その時「わたしはギターがあるから舞台に上がれるのかもしれない。ないと立てないかもしれない」といった内容の話をしてた気がする。
 あ、なるほどなーと思った。何がなるほどなのか、ちょっと説明するには手足を使いたいのでここではできないけど。で、その時俳優も「せりふや脚本が、俳優にとってはギターなのかもねー」と相槌うっていた。なるほどねーとも思った。とはいえ、何に対してのなるほどなのか。
 話はさらに飛ぶ。僕の周辺で一番音楽に詳しいと思ったシマ君に音楽についてのレクチャーを先日うけてきた。話がおもしろいシマ君。なにがおもしろいって、シマ君の家、音楽要塞とでもいうか、レコードとか、スピーカーとか、なんかすごい部屋で、僕が質問すると、音楽つきで答えてくれる。「筒美京平のこの時期の編曲がすごくいいんです!」と力説される。音楽を聞く。だが、よくわからない僕はふわふわと相槌をうつ。だが、比較のために、年代の下る筒美京平編曲作品を、すごいスピーカーで聞くうちに、シマ君の力説していた美が、わずかだけど、0.1%くらいかもだけど、わかる。
 その、「わかる」が、たまらない。
 しかし、0.1%のわかる、とはなんなのか。それがわかったからといって、なんなのか。誰かのためになるのか。生活はよくなるだろうか。10名弱の俳優やずっと支えてくれるスタッフたち、そして少なからず見に来てくれる、おひとり様で見にきがちなお客さんたちに、何か、ためになれるのか。
 30歳になってしまった。
 ただ、面白いから。
 ただ、楽しいから。
 ただ、素晴らしいから。
 それだけで、演劇をやっていいのかどうか。
 という、質問を、誰にしたらよいのだろう。その質問は、0.1%でもわかるだろうか。
 その質問を、どうも僕は「18歳」にしてみたくなったのかもしれない。そんな時に、「私たちはロックバンドです」と、ど正面に言い切る人たちがいた。だから、聞いたのかもしれない。その質問のレスポンスは、全身を使わないときっとわからないんじゃないか。音楽を聴く、とは、耳だけの行為じゃない。
 そしてもう一歩、知りたいと思って、演劇を作る。これは、いわば「適切な質問を頑張って作っている」のかもしれない。質問を、言葉だけで構成してしまったら、プロ愛人に「今後の目標は?」とかなってしまうからな。そしてその質問に答えてくれるのは、観客の皆さんの、姿勢と態度なのかもしれない。

2015年3月19日 作者本介

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