バカが嫌いだ。バカとは何か、伝わらないやつのことだ。バカと議論するとどれだけ噛み砕いた説明であっても話が並行する。
ロジックに感情のバイアスが乗算されたものが発言となる。なので議論のときには、主観や感情が乗りすぎていないかを注意する必要がある。バカはその勘定ができない。
バカは問題を解決する具体的なアクションを考えずに、自分の感情に任せてあれこれをいう。議論が堂々巡りで進まなくなる。そしてバカはこの時間のコスト勘定もできない。
むしろ物事を面倒な方向に大きく拡張させようとする。
バカは伝わらないばかりか、自分にリテラシーがないという自覚がない。
バカは自分の持ってるしょぼい感覚を盲信する。盲信を何年も受け入れ続ければ行き着く先は手遅れのバカだ。自分の価値観など何度となくこねくり回したほうがいいのだ。
バカにとっての悲劇は、周りのバカだ。
三人よれば文殊の知恵というが、バカは二人で迦利を生むことができる。合理性のちゃぶ台をひっくり返し、物事の解釈を雑に雑に持っていく。
自分を聡明だとは言わないが、整合性やバランス感覚は多少なりとも尊んでいる。少なくともバカがどのように間違えた思考プロセスに陥ったかは想像できる。その間違え方に呆れる。
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伝わらないことの悲しさと疲弊。これについては思うところがある。人間が遺伝子を運ぶための容器だとする説があり、それを信じている。遺伝子には生殖による運搬と、表現など感覚的な影響による伝播の2つの経路がある。人間の価値の本質がそこにあるとすれば、伝わらないというのはかなり根源的な部分の失敗になる。故に伝わらないストレスは苦しいのかもしれない。
生き物である以上、争いが起こる。
平和な世界を想像しろと歌うやつでも自分のバンド内のケンカは解決できなかった。
謝罪と感謝は人間の発明した本当に尊い観念で、それらのおかげで争いの数はものすごく減ったと推察される。だから謝罪と感謝はいつでも懐から出せるようにしておいたほうがいい。
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要するに、バカと話すと伝わらないから遺伝子レベルで負荷だ。そういうことを言いたい。
ケーキ食って酒飲んでコード書いて寝るべ。