人間がものをつくるときに、意識的にも無意識的にもはみ出してしまう部分というのが、面白いんだと思う。以前、DJ KLOCKについてのコラムを書いたことがあるんだけど、遺作である「san」発表時のコメントがかなり心に残った。
”コンピューターで音楽を作るとき、正確に音を鳴らすことは簡単で、コンピューターのプログラムを介して不確定な部分をつくっていたのだけど、そこで気がついたのは人間の手の不確定さ、不安定さの面白さです。今度のアルバム『san』では生演奏の部分がだいぶ増えています。電子音楽を通過した聴き方で演奏の部分を聴く面白さとか、そうでない聴き方でも楽しんでもらえると思います。”
KLOCKはターンテーブルの可能性を追求したアーティストだ。「Turntabrush」はターンテーブルの起動音や停止音まで、「ターンテーブルと手」の関係を音楽で表現した作品で、BGMにかける類のようなものではないけど、KLOCK自身の「人間ってなんだろう」という哲学が音に顕われていると思う。
譜面を正確に演奏する音楽の正確さに心は踊らない。感情でぶれてしまう作用と、技術でぶれないようにする作用の、「隙間」に「人間」を感じるし、そこにいちばん気持ちいい「うまみ」のようなものが詰まっている。
はみ出すことが大事だ。
いい感じにはみ出すっていうのは難しい。一つ、軸がどこかに成立していないと、はみ出すことにならないからだ。
閑話休題。女の子のチャームポイントはやっぱり、特徴のあるパーツだと思う。
大きいほくろだったり、しゃくれたあごだったり、歯並びの悪さだったり。
中には「歯が汚い」とか「ナチュラルにのびたひげ」いうのが特徴のひともいる。僕の範疇ではないにせよ、そこに熱狂的な執着を見せる人もいるだろう。
しゃくれたあごでも、そのあごがすべすべでぴかぴかだったら魅力的だ。そんな風におもうので整いきった顔立ちの女性は造形の美しさにはっとすることはあるけど、実はテンションのあがるポイントは「整った造形のなかでの目尻のしわ」とかにあるのだと思う。
人間である以上誰もが大なり小なりの畸形を抱えている。
そこの畸形の部分を失くすよりも、育てる方向に教育や社会がシフトしていったらいいのになって思ってる。
話はさらに逸れるけど、ここ2年ほど、ビートがはみ出している音楽が好きだ。
リズムが、一番気持ちいいとこからやや後ろにはみ出している。けれど、このはみ出したグルーブが一番気持ちいとこより気持ちいい。正直、腰が弱いのでダブやレゲエまで後ろにはみ出すと体力的に疲れる。これくらいが自分にはいい塩梅なのかなと思っている。
話はもっと逸れる。
物理学で言う「真空のゆらぎ」の話も素敵な話だ。
要は、「無」の世界から有が生まれてしまうので「絶対無」というのが存在し得ないという、とても神秘的な話で、ここら辺の話は非常に哲学じみているので割愛するけど、何がいいたいのかというと「有る」ということは元々「はみ出してしまっている」という状態なのだから、生まれてしまったことそれ自体が奇跡的にユニークな事象なのだから、自分なりのはみ出かたを探求していくのが、楽しいことな気がする。
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そんな感じで、最近ははみ出すこととか、どうしても出てしまう人間味という部分に価値を感じている。自分の置かれてる立場からいえば、「きっちりつくる」ってのは基本だけど、どんな仕事にもこちらの裁量で好きにやっていい余白の部分があって、そこを何で埋められるかというところが評価につながるように思っている。そこを何で埋められるかというところに、職人的なはみ出しが期待されていて、アイデアとテクニックが問われているんだと思っている。納期ははみだしちゃだめ。
いろんな企画を動かし始めていて、どれがどこに帰結するのかが読めない。
最近、会う人の「俺これやりたいんだけど」っていう提案に「いいすね。じゃあやりましょうよ」と言ってることが多い。それらのゴールが一つの物語に集約されるんだとしたらそうとう壮大で面白いぞ、ってことを考えている。それぞれに自分が携われる時間には限りがあるのだけど、はみ出したアイデアを持ってしまった人の、そのはみ出しの部分が、どう成長を遂げていくのかという点を見届けたいと思っている。