第一夜

夢を見た。とにかく自分には夢も目的も財産もなく、ただ、空虚と空腹だけが腹を満たしていた。そして残念なことに、身体はいたって健康で、人生はまだまだ続きそうだった。まずは財産を作ることが重要だ。かといって労働などという非効率的なやり方ではだめだ。簡単で、自由で、金回りのいい手段を考えなければならない。
「げんだいあーとだ、げんだいあーと」
私はそう思いついた。キャンバスに向かって難しい顔して何も描かないとか、それらしい理屈を並べて何もしないとか、そういうやりかたなら簡単だ。
「げんだいあーとだ、げんだいあーと」
私はばかの一つ覚えのようにそう繰り返しながら、美大に向かった。
何もしないにせよ、何もしない理屈は必要だ。現代アートにはキャプションに書かれる長々としたそれらしい文章力が必要だ。そう考えた私は、そういう会話の飛び交うであろう、美大の空気に触れることが大事だと考えた。
「げんだいあーとだ、げんだいあーと」
学校には難なく入れた。キャンパスの裏には廃材置き場があり、コンクリートを打ちっぱなしたアトリエがあった。木片や落書きにまみれた道の途中には切り出された石像や、描きかけの絵画などがあり、やはり芸術の心得のある者の持つ技術に、自分は到底及ばないような気がした。それでもいいのだ。私が臨むのは現代アートなのだ。必要なのは、難しい顔でもっともらしい理屈をこねくり回すテクニックだ。
空は曇っていた。学生たちが絵の具にまみれながら、ああでもないこうでもないと作品を創っていた。
男が二人で花の絵を描いている。彼らがキャンバスで描く花は、ただただ赤かった。二人で赤い塗料を塗って、その上にまた塗ってという作業をしている。そうこうしているうちに絵画の花はキャンバスを抜け出して花になった。二人はその赤い花の一輪を手に取ると、それを片手にああでもないこうでもないとまた話し始めた。絵心のある者はこんなこともできるのかと感心させられた。
またとぼとぼと歩いていると、真っ白なキャンバスが棄てられていた。これはいい。このキャンバスを使って作品を創作し、げんだいあーと界に切り込んでやろうと考えた私は、とりあえず、キャンバスの上に寝てみることにした。「キャンバスの上に寝てみる」この行為をげいじゅつ的に説明するとしたら、どのような言葉が必要になるのだろう。しばらく寝そべりながら難しい顔でうんうんと唸ってみたものの、芸術論も芸術史も一片も知らない私にとって、「キャンバスの上に寝てみる」この行為はそれ以上にもそれ以下にも行かない気がした。
空が見えた。相変わらず曇っていた。
そういえば昔、現代アート云々に打ち込んでいた女と暮らしていた。彼女にとって作品における行為と、日常の行為の差異はどこにあったのだろう。いろいろな話を聞かせてもらったことを覚えている。当時の自分にとってそれはただの小理屈でしかなかったが、彼女にとっては哲学にも近いものだったのかもしれない。
仰向けにそこに寝始めて、どれくらい時間が経っただろう。気がつくと、向こうの建物の屋根の上に誰かが寝ている。その人物の背中にはキャンバスが敷かれていて、どうやら私と同じように「キャンバスの上に寝てみる」を行っているようだった。
しばらく眺めていて、その人物の行為が私のそれとは大いにかけ離れていることに気がついた。キャンバスの上に寝ているだけのように見えて、作品への試行錯誤をしている。その人物には確固たる芸術への心得と哲学があるのがありありと感じられた。
私はなんとも言えない気持ちで起き上がった。
校舎の窓に映った自分の姿が矮小で、いやにふけた人物に思えた。
私は、携帯電話を取り出して、かつて暮らしていたその女にメールを打った。
「空を見ていたのですが、きみに会いたくなりました」
程なくして、返信が届いた。
「奇遇ですね。私も今空を見ていました。空を見ていたら、あなたを思い出し、二度と会いたくないと思ったところでした」
向こうの屋根で寝ていた人物が、携帯をしまうのが見えた。空腹な私の腹が、小さく鳴った。
第二夜

夢を見た。
自分はどうやら演劇稼業に精を出しているらしい。その日は舞台の初日だった。その作品では私は演出と出演を兼ねていた。ゲネプロが終わり、少し確認の稽古をする。作品は上々の出来になりつつあった。各自台本を確認して2時間後の本番に臨むよう伝えた。
汗を拭きながら、小道具を自宅に忘れたことを思い出した。自宅へ取りに戻るにはまだ時間があったのでいったん帰宅する旨をスタッフに伝えた。
「わかりました。自転車の鍵です」
スタッフはそういって自転車の鍵をよこした。
「何で君が私の鍵もっているの?」
「さっき、カゴに牛肉のハンバーグ入れたんです」
なるほど。とにかく急いで戻るよ、と私は劇場を後にした。
電車に乗って、自宅へ向かった。傾いた日差しが黄色い。少しだけ疲れていた。公演期間を終えたら旅行にでも行ってゆっくり休もう。電車の中でそんなことを考えた。
自宅の最寄り駅で電車を降り、自転車置場に行く。私の自転車のカゴの中には確かにハンバーグが入れられていた。「わざわざここまで持ってきてくれたのか、助かる」と思ってもぐもぐ食べた。
自転車で駅前の商店街を通る。もう夕方だ。早めに劇場に戻って台本の確認もしておきたい。夕日は色とりどりの軒に陰影を作り、そして鮮やかに橙のフィルタをかけていた。
その軒の中に、ひとつふと普段見落としていた店の看板があって、つい自転車を止めてしまった。
「ひとりエッチ オガタ」と書いてある。
オガタは店の名前だろうか。個室ビデオのようなエロい店だな、と思った。その店の窓には貼り紙が貼ってあって、そこにはこう書いてあった。
「ヘアーカット2000円 オガタ」
なんだこりゃ? いかがわしい店なのかヘアーカットなのか。怪しい。実にあやしい。店内にはよぼよぼのじじいが腰掛けている。じっと見ているとじじいもこちらに気づき「いらっしゃい」と声をかけてきた。
扉を開けられ、言われるままに店にはいるとエロビデオとエロ本がいっぱいある。ヘアーカットする場所は見あたらなかった。とにかくここはいかがわしい店であるらしい。ヘアーカットはオプションのサービスのようなものなのだろう。
棚に陳列されたエロ本やエロビデオはどれも見たことのある作品だった。品揃えの悪い店だな、と思った。そもそも駅前商店街のこんな寂れた店の品揃えなど期待できるものではないだろう。自分が中学生の頃にはじめて買ったエロ本があった。そういえば、これを買って、服の中に隠しながら大急ぎで家に帰った。懐かしい。そして、その隣には高校生のときに入学記念に買ったエロビデオがあった。その当時の性欲への情熱を、もう少し別の方向に向けていたら、と思うこともあるが、今となっては仕方のないことだ。たかがエロ本やエロビデオにそれだけ情熱を注げた自分も愛おしいような気がした。
その隣には、大学受験を終えた帰りに記念で買ったエロ本があった。
違う。
この店の陳列は何かが違う。どれも見たことのある作品だが、私が見たことのある作品しか並んでいない。あれもこれも、棚にあるすべてがかつて私が押入れの奥底に隠していたものだ。そしていつしか見飽きて棄ててしまった幻想の女たちだ。虚構の百花繚乱を与えてくれた何百人もの女たち。
親に見つかって棄てられてしまった一冊もあった。
「ああっ!」と、思わず感嘆の声をあげそうになる。じじいがにやにやしながら口を開いた。
「1時間70円です。ご利用なさいますか?」
私は無言で350円を置いた。
芝居の開演時間には間に合いはしないだろう。
第三夜

T市にあるラーメン屋に行ってみた。ラーメン通にはかなり評判のいい店だったので期待も大きく、前日の夕食から何も食べずにいたので非常に空腹で楽しみだった。店に着いたのは昼下がりだった。平日にもかかわらず行列ができている。ニ十分くらい並んでようやく中に入れた。人気店なわけだ。食事を終えた人たちが皆、お腹を撫でながら幸福そうな表情をしている。さぞかし美味しいんだろう。
店の外でニ十分、中でもうニ十分並んで、ようやく席につけた。食券販売機で何を買うか迷った挙げ句、オーソドックスなラーメンを大盛りで注文した。
店内は薄暗い。ライトアップされた厨房では職人の顔つきの男たちがもくもくとラーメンをつくっている。真剣だ。しばらく待っていたら、ラーメンが出てきた。持ってきた店員がどんぶりを置いた後、テーブルに備えつけてあった小さい照明をつけた。薄暗い店内の薄暗いテーブルの上に神々しくラーメンが照らされる。
演出過剰なんじゃないか? とも思ったが、店員の顔つきは完全に「俺は誇り高い仕事をしている」という毅然としたものだった。
まあ、いいや。いただこう。どれだけうまいのか。
こうしている間にも隣の席や、店内の至るところから「う!うま!!」とか「おいしすぎるー!」とか、感動の声が聞こえてくる。そんなにか。そんなにもなのか。よく見れば、どんぶりの器は黒い陶芸で、かなり高級な様子だ。
若干の緊張を抱えながら、麺を口に近づける。
「うわ!」
思わず声をあげてしまった。
くさい。くさいのだ、麺が。びっくりするくささだ。昔、田舎で嗅いだ牛の糞を髣髴とさせる。皆はこれを食べているのだろうか。しかし、この臭さの先にとてつもない美味があるかもしれない。珍味は、一筋縄にいかない。臭さに絶えながらおそるおそる口に入れる。
「あ!」
また、声が出た。まずい、まずすぎるのだ。
麺はのびきっている。味はにおいそのまんま牛の糞だった。
何だろうこれは、皆は何を評価してるのだろうか。こんなゴミとしか思えないようなラーメンに人気があるのだろうか。そうか、麺がスープと絡んだら美味しいのかもしれない、と無理やり思うことにした。
蓮華でスープをすくって飲んでみる。
「うわ!うわ!」
まずいなんてもんじゃなかった。魚介系の風味と聞いていたが、他人の靴下の匂いだ。夏の日の靴下だ。既に結果は分かっていながら、麺と絡めて口にしてみるとやっぱりうまいわけがなく、嗚咽と涙が零れた。私の呻き声が店内に少し響く。それに気づいた店員がカウンターの向こうから慈愛に満ちた顔で見てくる。「わかるよわかるよ」という顔だ。お前! この涙は感動じゃないぞ決して!そう叫びたい気持ちだった。
屈辱である。屈辱でしかない。なにが悲しくて他人の靴下スープに浸かった牛糞を啜らなくてはいけないのか。なにが一体どうなっているのか。目眩がした。背中をいやな汗が伝う。周りからは幸福そうな会話が聞こえる。
もしかしたら店員が間違えて出してきたんじゃないか?そう考えれば合点も行く。
私は、カウンターの席の隣の、会話に夢中の女性二人を見た。注文は味噌ラーメンのようだった。話に夢中な隙に一口いただけないだろうか。確かめないと気がすまないのだ。ひと口確認させてほしい。浅ましいが。大丈夫、きっとバレることはあるまい。視線の隙をくぐりぬけてラーメンをひと口分失敬する。バレてない。
さりげない手つきで速やかに、それを口に運ぶ。
やっぱりくさい! そしてまずい!
先ほどのゴミに味噌を足しただけだった。味噌のぶんことさらにまずいような気がした。
なんなんだこれは。味覚は人それぞれというが、ここまで自分のそれはマジョリティからかけはなれるものなのか?分からない。自分が世界と切り離された感覚だ。携帯電話を使って、店の情報を検索する。ラーメン評価サイトでこの店は98点というハイスコアをたたきだしている。レビューに批判的なコメントは見当たらない。
自分の舌がおかしくなったのか? いや、昨日まで普通においしいものをおいしいと、まずいものをまずいと判別できていたはずだ。苦痛を圧しながら何度か挑んでみたが、このラーメンはどう味わってみてもゴミ以外の何でもなかった。
ダメだ。今日は調子が悪いんだきっと。帰ろう。帰って忘れよう。大盛のラーメンを残すのはいい気分ではないけれど、仕方ない。席を立とうとすると店員がやってきた。
「片付けますね……え!?」
そう言って彼はテーブルのどんぶりを見て絶句した。
「お客様、こんなに残されるんですか…?」
「ああ、申し訳ないね」
テーブルにいくつか雫が落ちる。店員が涙を流しはじめていた。
「お、お言葉ですがお客様…確かに、うちは小さい店ですが…こんなに……こんなにまで残されるんですか?何か恨みでもおありですか…?」
店員の表情は悲しみと憤りに満ちている。何だお前は? お前こそこんなラーメン出してくるなんて恨みがあるとしか思えない。気がつけば店内が静まりかえっていて、他の店員も客もこちらをにらんでいる。
「うわあ、あんなに残してるよ」
「飢えた子供たちに申し訳なくないのかよ」
「味覚がいかれてるんじゃないの?」
「ゴミだな、人間のゴミ」
そんな囁き声が聞こえる。店員は泣きながら続けた。
「いいですよ! お代は結構です!ですが、このラーメン、全部食べてください!でないと我々は、納得できません!精一杯の気持ちをこめて!お客様にお出ししているこのラーメンと、向き合ってください!ちゃんと!おねがいします!」
納得できないのはこっちだ。というか、この麺を完食するなんて無理だ!まじで無理だ!勢いよくそう告げようとしたとき、店員が土下座をし始めた。
「おねがいします! おねがいします!」
絶句していると、店内の至る所からタベロコールが聞こえてきた。
「タ! ベ! ロ!! タ! ベ! ロ!! タ! ベ! ロ!!」
私は逃げ出したかった。なんと言われようとこの場を一刻も早く立ち去りたかった。そして、そうするべきだったのだと思う。突然、店の奥から声が聞こえた。
「食べらっしゃーい!!」
全身刺青まみれの店主が鉈をもちながら血管を浮き出させている。刺青には「一麺」という謎めいた漢字が極太明朝体で彫られている。このゴミ麺食べないと殺される。でも死ぬ。このゴミラーメン完食したらまずさで死ぬ。全身の毛が逆立って、雨にふられたように身体が汗にまみれている。店内の客は皆、殺気立っている。震える足で椅子に座りなおす。
これを、食うのか?再び。
自分の存在が世界から完全に切り離されてしまった感覚。絶望的な質量の孤独が、眼前に立ちはだかっていた。そして再び箸をスープに沈めた時、私は思い出していた。私は自動車事故で死んだのだ。どうやら生前に徳は積めていなかったらしい。