アレキサンダープラッツで買い物をしている時にふと、こころはまるで水風船のようだな、ということを考えた。
その水はいろいろな色彩が混濁していて、時にきれいで時にきたなく見えるような、そういうしろもので、満ちて膨らんだり、揮発して凋んだりを、呼吸のたびに繰り返しているのだろう。
ベルリンは居心地がいい。ここから、参院選のあとでは、去年いた時よりも日本の病理が視える。そもそも濁りやすい質のこころが、純水を保つのに、その土壌では難しいんじゃないかとか、そんなことも考えている。
ベルリンにいてもやはり、扱いの難しいものは厄介で、濁らせないように、破裂させないように保つのは苦労だ。だって呼吸のたびに実に多くの影響を受けるし。天気が変わっただけで一気に色づくこともある。呼吸のたびに水面に起こる波紋に、笑ったり泣いたりしながら生きていくなかで、その数が煩わしくなることもある。
収縮を繰り返す水風船の中で、騒々しく揺れ続ける水面の上で、ひょっこりと枯枝のように突き出た脊椎が、華奢だ。実に心細い骸骨だ。
アレキサンダープラッツで買ったエスプレッソマシンでコーヒーを淹れながら、飲みながら、水風船の中身にカフェインを混ぜながら、先日死んだ実家の猫のことを悼んでいる。眠気を誘う斜陽の中で、己の凡庸を呪ったりもする。好きな音楽を聴いてみると、眠れもしないまま日が傾いていく。