人生の目的は、『自分の人生の目的』をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの『生きる意味』を見出すことである。変な言い方だが、『自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である』といってもいい。私はそう思う。
— 五木寛之『人生の目的』
wikiにこんな言葉が載っていた。
こうあればいいのに、という理想を、ずっと追いかけたいなと思う。
2011年の秋に会社を辞めた時に、まじで次の一歩が分かんなかった。
「これがやりたい」というものもなく転職することもできたはずだけれど、それはしなかった。
震災と原発問題はやっぱり大きなきっかけだった。各地でデモや署名活動が起きて、原発の賛否が問われる中で日本のスタンスは「聞く耳を持たない」というところに終始した。そのほかにも色々あった。なんでみんなこんなに勉強してこんなに仕事してんのに、こんな自殺率高いの?報われてないじゃん、ってとこ。
そことの折り合いがつかないまま転職する気分にはならなかった。
理想は、追いかけていい。
これは、ベルリンで得たインスピレーションの中で一番大切なことだったと思う。
こうあればいいのに、と思いながら、
それに向かうために足掻かないままで、なんとなく違和感を飲み込んで、愚痴って、解決した気になってをし続けて、死んだ時お棺の中で泣くのはバカとしかいいようがない。
どうせなら「やりきったー」っつってストレスフリーで気持ちよく死にたい。
日本に帰ってきてから、自分にとっての理想と言うのがどういうものかが涌くように浮かぶ。
もともと水は井底にあったんだとおもうけれど、ようやく釣瓶と桶を得たと言う感じだろうか。
夢なんていえば陳腐だけど、こうあればいいのにという理想がある。
日本は俺のそれからはどんどん外れた道を行こうとしていて、
西に行きたいのに東に向かう船に乗る道理はない。
幸いにして身軽なんだから、泳いだりもできる。
理想を追いかけて、追いかけること自体を仕事にして、生活にして、そういう人生がいい。
贅沢はほどほどにできりゃいいし、ちょっとやそっとじゃテンパんないくらい収入があればいい。
なんもかんがえないで日向ぼっこできる日が週に1日あればいい。
窓辺に花も置きたいし、紅茶やコーヒーもいいものを飲みたい。
猫なんかもいたらいい。
自分の生活の中に増えていく逐一に愛情をそそげる余裕を維持したい。
そんな人生がいいなと思っていて、憧れっていう段階じゃなくてそこへの途轍。
いま30になったとこ、全然遅くはねーな
最近、「もしだめだったら?」なんて愚問を誰かからもらったんだけど
「死なねー」ってだけだよ。だめだーってならないとみつからないことなんていっぱいあるよ。
ということで6月中にまた東京を離れる予定です。
練らなくちゃいけないこといっぱいで時間もないけど、門出っつうことで会ったら乾杯してください。
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以前もあげたけど、もらん「マイホーム」
あせって はしって すべって けがして だらっとして いらっとして きづいてから あせっても だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶ マイホーム マイホーム マイホーム だいじょうぶ だいじょうぶ