今日の陽も落ち、草木も眠りに落ち、一日はそれなりに満ち足りた筈が、ほんの少しの空白が気泡のように在って、数日も積もればそれは空虚となる。日々はそれなりに満ち足りている筈だ。不自由もない。これ以上何を求めてるのかは分かりようもない。誰かが埋めるべくもない空白の堆積を、噫気も出来ないまま抱え込んでいる。息が詰まる。
終電の過ぎた夜の路傍で、街灯がたくさんの孤影をつくり出す。墓標を失くしたおばけのように、その中をとぼとぼと歩いている。
少しだけ疲れているのかもしれない。季節の変わり目に狼狽たえているだけと思いたい。静か過ぎる街の中で、足音と呼吸音が反響している。時折音が聞こえるとすれば、車の通過か酔っ払いの喧騒。決して心地良いものではないので鼻歌を口ずさんでみても、中空に吸収される痩せた声は己を鼓舞するには脆弱すぎる。
体温が欲しいなら娼婦街に行けばいいし、真心が欲しいなら誠実を保てばいいだけだ。
結局は机上の積木をすべて使って作り上げたものが枠組みだったっていう話で、そこに何を当てはめるかを迷い倦ねているような、つまり深刻とは程遠い、ハムレットに憧れた三流役者の三文芝居。ウェルテルでい続けたい三枚目の立ち振る舞い。そんなもののような気もする。
家路には、標もある。様々な引力にその度引かれている内に、方角を見失うのは傍から見れば喜劇以外の何者でもない。誰の所為でもない。呼吸の方式を忘れているだけだ。
積木で出来た枠組みに当てはまるものが、例えば明日出会う風景なら幸運だ。空洞の一切を埋め尽くしてくれるような色彩があるなら、旅券の代金なんか吝嗇らないし、多少の贅沢くらい目を瞑る。もしその枠組みにうっかり美しい思い出なんかを当てはめてみるとしたら最悪だ。空腹を塩で満たしても咽喉の渇きにのたうちまわることになる。
季節が、確実に着実に変わろうとしていて、それは少しだけ怖いな。果たして本当にこの路は家路に続くのか、辿り着いた先は本当に家なのか。木々の間で声を殺して、蝙蝠が嘲う。疑いつつも進むしかないのだけれど。少しだけ疲れてる。吐き出せないまま抱え込んだ空白を抱えてる。誰かが埋めるものではないし、誰かが示してくれる道ではないと、そんなこと最初から分かっているのだけれど。