十七歳のとき当時つきあっていた高校の先生とやった。それが私の初体験の概要。
先生は当時二十四歳で担当は日本史だった。初恋は人並みに甘く酸っぱく、全身全霊でそれに酔いしれていた。10ヶ月の関係だった。よく続いたほうだ。
教師と生徒という関係の背徳に燃えている節がお互いにあって、その関係は間違いなくスリリングで刺激的だった。
自分が24になった今にして思えば、先生は相当いけてなかった。
得意気に歴史の話をした先生の表情のなかに「自分がそれまでに培ってきた歴史への愛をようやく披露する場所ができたのだ」という喜びを見つけると、私はたまらなく彼をかわいらしく思えた。それを母性と呼ぶのかどうかは知らない。
高三の年末に「好きな人ができた」と先生は私に打ち明けた。「あ、これなんかでみたことある」って少し思った。心変わりの相手は先生の大学時代の同じサークルのひとだということだった。私は泣いたり喚いたりメールをしたり長電話をした。そもそも入試直前になんてことを言い出すんだ。教職としてサイテー極まりない。
恋愛に破れてもなんとか現役合格できたのは続けていた進研ゼミの通信添削のおかげだと思う。
妙な反抗心が働いて歴史は受験科目に入れなかった。大学生になった私はサークルに入ろうと思った。
映画にまったく興味がなかったくせに映画研究会を選んだ。なんとなく入ったサークルでなんとなくキューブリック作品が面白いなって思うようになった。
笹塚くんとは二年つきあった。
静岡から上京して一人暮らしをしている笹塚くんは先生にはない純朴さを持っていて安穏とした半同棲生活は私に家庭的なやわらかい感覚を植えつけた。結局大学四年の春に別れたのだけどその理由がなんだったのかは説明が難しい。
一度、ゼミの先輩と浮気をやらかした。その朝の池袋のラブホから駅に向かう道で巨大なカラスが生ごみをつついていたのを鮮明に記憶している。私は笹塚くんに自分の浮気を黙っていた。笹塚くんは気づかなかった。矛盾しているがそんなくずな私と変わらずのうのうと一緒にいる笹塚くんを愚かしく思い、小さい怒りすら覚えた。
製作していた自主映画は今にして思えばどうしようもないどこかの誰かのパクリのコラージュのようなひどい作品だったが、そんなものでも真剣に情熱を向けたことが無駄になるとは思わない。恋や人間関係や授業やバイトに揉まれ忙しなく感情を転がされていたからこそ、得たものは説明できないが説明できないほどある。
社会人になってお酒をほぼ毎日飲むようになった。
井口という会社の後輩と飲みに行った。
「俺学生の頃戻りたいです。たのしかったですもん毎日」
「いまは?」
「微妙ですね」
「俺学生のときバンド組んでて、結構人気もあったんですよ。事務所とかいくつか声かかったりして」
「すげーね」
「そっちの道いったほうがよかったかもしれないって思うんですよねたまに」
「思うなや」
「今からでもおそくないかな?でもメンバーいないし」
「集めろや」
「先輩なんでそんなに手厳しいんですか?」
「手厳しいかな」
「甘えさせてくださいよ、僕も先輩ももう終電ないですし」
井口の脇腹を蹴りつけ「てめえ、殺すぞ」と叫んでもう一回蹴った。
「調子乗ってんなよおい、終電ないからなんだ?おい?終電ないならなんでってんだよ、てめー、それがバンドやってた頃の手口か」
他の客がうわああって言うなかで井口を何度も殴りつけた。井口は何度も「すみませんすみません」と謝っていた。さっき飲んだこの店の泡盛おいしかったな。また来よう。
井口の分の代金は私が支払った。井口は元気がなさそうにタクシーで帰っていった。私は中野に住んでいる友達以上恋人未満な男の家に行ってセックスして寝た。
明日起きたときには忘れているであろう幻。過去にあった幸せな光景を見た。
笹塚くんは「結婚したい」と言ってくれた。そのとき部屋で観ていた映画が何て作品かまで覚えている。先生の顔は覚えていない、まあ感謝はしているのだと思う。
高校生とか大学生とかのこと思い出したのは迂闊だわ、まあ朝には忘れているだろう。
明日も大丈夫。
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