mixiやtwitterをやめてからひと月が経った。違和感はぬぐえない。
仮想的とは言え、7年生活の中にあった場所を削いだのだ。幻痛みたいなものもある。
ただ、すっきりしたことも多くあって、考え方が非常にシンプルになった。
自分の可能性などたかが知れているということ。
愛せる対象の数も限られている。携帯のアドレスも多くを削除した。
つうか、本名でブログやって自分のアドレス(窓口)なんてネット中のそこいらに散らしてあるんだ。取りたいやつは勝手に取りにくる。
その他のアカウントも多くを削除した。(メルマガなど)
本当に「垢」のように多かった。
俺はどれだけ寂しがっていたんだ?
俺はどれだけ自分の可能性なんていう幻想につかっていたんだ? というようなことを再認識するようになって、なんだか不思議な気持ちだ。
最近は、仕事以外の時間はなるべく家にいる。
結局、好き勝手文章をたたいている時間が幸せだと思う。
発表するしないは関係ない。好きな音楽を聴きながら、他愛もない会話をするように文章をwordに投げつけているときは時間を忘れる。
windows meを使っていた頃のことを思い出した。
もう8年も経つのかと思うとぞっとする。ブログやネットラジオがようやく普及し始めた頃、mixiなんてやっている奴はマイノリティだった。たいしたアップローダーもなく、ストリーミングも非常に遅かったので、聞きたい音楽の量なんて限られていた。
読書をしていた。散歩をしていた。今と同じように誰に発表するでもない架空のテキストを打ち続けていた。CMSなんて概念はなかったので、htmlでなんとかwebをこさえ、ない技術で全力で更新していた。
なんか、ああいうのがなくなったなあ。
自分の環境も大きく変わったけれど、ネットとの向き合い方も伴って変わった。
あのころの時間のバランスが一番好きだ。自分の体内にあっていたんだと思う。
そんなことを思い出していたら文章をまた打つ快楽を思い出してくる。
最近は書き散らしている。何かを書いては置き、書いては置き、PCのフォルダがひとつ雑多なネタ帳みたくなってきている。資格の勉強もしているから時間は限られているけれど。
誰が上演する予定もない二人芝居を書いていてタイトルを『九識の窓』にした。windows 2000と比較するからwindows meは駄作に思えるんだけど、あれはやっぱりwindows 9xシリーズの集大成だったと思う。
Brandt Brauer Frick – Bop
人から教えてもらった作品。ドイツをの人力ミニマル。
こんなんがMステであったらかっこよすぎる。そくぞくする。