依然変わらずに途が延びていて、辺りはまだぼんやりと暗い。風呂敷の中はいつの間にかもらったものでいっぱい。足取りを重くしている。
途轍には三叉路や五叉路、荒野もあって、それでも止まらないかぎり途は必ずどこかで収束するだろう。何を止めるつもりもない。
何かと騒がしい世の中でも騒音から得るものも多いし、それはそれでひとつの標。耳は塞ぎたくない。塞がないていたい。
眼もあけておきたい。正面を向くのはいつだって怖いけど、閉じたままいけるわけがない。
風呂敷のなかでガチャガチャ言うのは、花を失くした花瓶とか、取り壊されたアパートの鍵とか、いつになく酔っ払った夜のこととか、いろんな人の涙とげろとうんこ、煤けた人形、ふざけた映画、ほとんどががらくた。
風呂敷の中でガチャガチャいうから、歩くたびにリズムに成る。リズムが鳴る。愉し。
例えどれだけ一人になっても、独りになることはもうないだろうと、逍遙の足取りでたるい途を辿る。