雨には負けるし風にも負ける。雪にも夏の暑さにも負ける。胃腸と肺と肝臓は日々の不摂生が祟ってぼろぼろである。性欲も物欲も食欲も何かと強い。図に乗りやすい。今日も、誰が何処かで死んだらしい。関係がない。関係が持てない。本当は様々なものと繋がれていたいのにそれなのに地下鉄を待つ構内できづかなくてもいいことに度々気づいてしまうのだった。バスを待つ日暮れ時に途方に暮れてしまうのだった。啓蟄を待つ間に凍傷になってしまうのだった。虚弱な骨を守るために嘯いては、うなだれて、凭れる椅子を捜しておろおろと歩いている。業務報告書にもらう担当者のサインを大切にし過ぎる。自分の知らないところで自分が悪く言われていることは知っている。妄想だよ。空想だよ。夢だよ。いっそのこと、夢の道連れで全て、春の来ないままにぱちんと終わるのならさみしかないかもねえ。さみしくないのにねえ。腹の中のソファで少女が知った風に言った。
傘が二千円で売られていてたかいと思ったが、赤くて可愛らしくて、いつかのどこかのあの人にとてもよく似合うのだろうな。もしもいつかのどこかのあの人にその傘をプレゼントできたら、その刹那ににわか雨が振り出したら、可愛らしい傘の中に一緒に身を寄せて、水たまり避けながら歩けるのだろうか。可愛らしい傘は可愛らしいから、なかなか窮屈なのだけれど、あの人は嫌がらないかしら。
若い女性の身体には、蕾のように内から外へ炸裂せんとする弾力があって、それを人は「ムチムチ」だとか「ピチピチ」と言った。その価値を最近になって思い出したのは、安物のAVを手に入れ、阿婆擦れたおばさんの乳の揺れを見てしまったからだった。
恋はきっと、普段着でやってくる。洗濯物を待っている間に奴は家の玄関を土足で跨ぐ。いともさりげなく自然にだ。それにやりきれない感覚を覚えるのは奴は土足のまま冷蔵庫を開けビールを缶のままぐびぐび飲むからだ。恋は、パーカーとジーンズでやってくる。幸いも然り、ネクタイなんて締めない。そんな話を肌の痒みに悩む友人、秦野香由美さんにしたらきゃっきゃと喜んでくれたので喜ばしかった。
さて、
戯れ言も言い尽くすと飽食。残りは手紙で伝えるとしよう。