秋雨土砂降りざあざあ降りにジーパンの裾はぐっしょぐしょになった。毎年この時期はいつもそうなのに未だに慣れないでいる。一生かけても慣れないものはあるようだ。一生かけても為れないものがあるように。何度拭おうとも纏わりついてしまう湿度はもう友達なんだと思うことにしよう。
1年振りにピアスなんぞをつけてみたらガラスの十代に戻った気がした。かといって、十代に戻りたいかっていったらそうでもないのだけれど。稽古に向かう西武線の窓には今日も狼狽している己の鏡像が映る。ラッシュに混雑した車内は噎せ返っている。読書する雰囲気もない。もう、いい年なのだ。成長しようと思ったときが成長期なのだと最近は思う。変わりたいと思えれば変われるだろうに、要は、想像力の問題なのだ。欠如しているというなら肉や野菜や魚をいっぱい食べよう。そんなお金もないならバイト。いい加減、もういい年なのだ。変わるには遅すぎるくらいだ。
糞には為りたくない。ゴミには為りたくない。それならお前は何になるんだ、と、水を吸いまくったジーパンの裾が言う。分からないけど、俺は俺にすら未だ為れていないんじゃないか、そんな風に思う。
スペースノイドは「白日鼠」を機に無期限活動休止に入るということが決定。
課題は山積。積載量を超えそう。
冬の支度もはじめなきゃならないし洗濯物もまた溜まりはじめた。結論へと逸る気持ちや、或いはどこにも辿り着けないで苛立つ気持ちの理由は単純に秋雨だったりする。ジーパンの裾をぐっしょぐしょにする秋雨の所為だったりする。