煙草はハイライトメンソール。しかしどうもメンソールと体の相性がよくないときもあって、絶対にこいつじゃないんだろうなと思いながら付き合っているカップルのようだ。様々な煙草に浮気をしているがいまだ合うものはみつかっていない。せめて煙草の銘柄くらい確立させたいものだ。いっそ止めてしまえばとはよく言われる。それも違うんだよ。
自分と自分の癖に折り合っていく
それで精一杯なのだけれども
感情と感情とは薄皮一枚の隔たりしか持たない。不安になるのも、たのしくなるのも、恋に落ちるのも、狂うのもその膜一枚を破くのに二秒は要らない。一秒で始めることも終わらせることもできることは知っている。(脚本や作品を書くのも実はそうで、着想から脱稿までのスパンの中で生まれるのは一秒だということも最近なんとなくわかった。)朝方の電車の中で、破けた部分から若干の涙が零れたが、それから降りるまで眠ったらどうでもよくなった。本当は、一切を諦めたとしても自分のことを好きでいられる筈だと思う。しがみつく理由はそんなに無い。子供じみた意地の部分も勿論ある。けれど、それだけが知っている折り合いのつけ方ならそれを続けるしかないわけで。いっそ止めてしまえばとはよく言われる。それも違うんだよ。
ねこじゃらしひとつあれば、一時間ははしゃいでいられる。そんなことに付き合ってくれる奴なんていないだろうから、ねこじゃらしひとつとってことばと遊ぶ。こんな、日記ともいえない駄文を重ねるのも似たようなもので、ことばの(文字の)直線と曲線と戯れているのが好きなんだ。
やみは見つめていればいるほど膨らんで広がるけれど、目を背けるのは違う。見つめ抜いて広がりきったのをみとめてから徐々に溶ろかしていこう。
正しい形をしているものなんて何一つ無くって、総て畸形の花。人間の進化の過程を見ると、指が六本ないのはおかしいらしい。そうだとしたらそうまとめるしかないじゃないか。
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7月某日
中目黒にいく。
コンドウアキノの新作アニメーション「てんとう虫のおとむらい」を見にいったのだ。コンドウアキノは気持ち悪いくらい少女を書くのがうまい。あと、虫も。
少女は黒髪のおかっぱ頭の物憂げそうなキャラクターだと決まっている。
作品はこの少女がてんとう虫をつぶしたところから始まる。
概要をいうと、ボタン、スカート、ぬめぬめ少女地獄、落下、回転、分裂、拡散、夢。そんな感じだった。コンドウアキノはなんかもう、人物そのものが作品になっているような感じがあって、とにかく「少女と夢」という感じだ。少しエロくて少しグロいのがまた惹かれる。観ながら思わず唾を飲んでしまった。
会場内には生のコンドウアキノがいる。話したいことはいっぱいあったけれど、当たり障りのない会話しかできなかったのが残念。
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近藤聡乃「てんとう虫のおとむらい」
日時:2006年7月5日(水)~2006年8月5日(土)
場所:ミズマアートギャラリー(東京都目黒区上目黒1-3-9藤屋ビル2F)
http://mizuma-art.co.jp/news_j.html