詩作って言うのは花を植えることに似ているのかもしれない。
通りがかりの一瞥で少しの感覚をもってもらえれば、幸せなんだろうと思った。そして、傲慢にも、「世界を変える」っていうのは、おそらくそういう作業なんだとも思った。光と影、虚と実、デジタルとアナログ、戦争と平和、右翼と左翼、どういうものであっても二元論でかたのつくものではないのだろうとも思う。この世界はどうあるべきなのか、そんなたいそれたことを考えていたら、自分の理想は「調和」という処にある気がした。究極や完成や100というものはとても素晴らしいが同時に、とても悲しい気もするから。丁度よくなってほしい。丁度よく在りたい。
そんなことを考えながら凌ぐ毎日です。
お元気ですか。
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「骨灰」 やさしいおばけ
此処はとても
美しい世界だ
例えば、僕が死んだとして
薄汚れたこの眼鏡と
虚弱な骨灰が残るとして
できれば誰にもみつからないように
その欠片ひとつ
そっとくすねてもらえないだろうか
窓辺の青硝子の花瓶の水に
沈めておいてもらえないだろうか
いくつもの風景が
僕のことを塗りつぶして
僅かな影以外何もなくなる
音もなく消える
例えば、僕が死んだとして
薄汚れたこの眼鏡と
虚弱な骨灰が残るとして
誰にもみつからないように
その欠片ひとつ
そっとくすねてもらえるならば
そのてのひらの温度のために
僕の生涯が在るのだとしたら
それはとても
とてもいいな
此処はとても
美しい世界だ