佐奈川には出会橋という橋がある。
素敵な地名だと思う。
最後のバイトを終えて、先輩にモーニングを馳走になった。2ヶ月足らずだがこのバイトをやってよかった。職場に対してそう思えるのは此処が初めてだった。帰宅して荷物を整理するのには三十分とかからなかった。俺は身軽な人間だな、とは思わない。荷物こそ少なくとも、想いは重かったよ。眠りこけて起きたら夜だった。
こっちで出会うことの出来た人たちと夜を明かして話す。馬鹿話で夜を徹する。大いに笑い、大いに愉しんだ。二ヶ月ぶりに台本の読みをやった。今日はあまりに調子がよかったのでご飯を炊いて食べた。正直言って、埼玉の地元を「地元」と言うほど愛着はない。何故かは分からない。駅前の汚水工場のにおいがきらいで仕方なかった所為かもしれない。
「此処を『地元』ってことにしていいですかねえ。」
気づけばそんなことを尋ねていた。
神田川には面影橋という橋がある。
素敵な地名だと思う。
その近辺で暮らしていたときは恋人の姿が面影になろうとは夢にも思っていなかった。よく自転車を二人乗りした。これからその場所でいつかの面影を、からからという笑い声の幻聴を噛み締めることになるのだろう。そしてそれを目の当たりにした俺の表情は多分とても穏やかで、それでいてとても泣きそうなものなんだろう。
恋を終えて遠ざかる恋人同士はきっと、お互いに不死身のビーナスだ。
俺は明日、ネズミの街に帰って寂しい目で遠くを見るんだ。玩具の指輪
もはずさない。渡したとき、受け取ったときの感情まで破棄する気には
ならない。今は目にするのも辛いから仕舞っておくけれど、優しい気持
ちで見つめられる日が来ることを俺は知ってる。
今日はとてもいい天気のようだ。薄雲がかかって青すぎない、とても優しい空だ。この街は空が広い。暖かい朝の日差しを受けていると、いとおしい恋人の体温も、感触も拭えそうだ。そうだ、最後の洗濯物が乾いたら、布団を干してやろう。少なからず匂いを浄化しておいた方が良いだろう。
おそらく、紛れもなく、それは愛だ。
ささやかにも、愛を知って欲しいや。
愛知なんだから。
愛知篇終了。
東京篇が始まります。