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[対談] 山本健介xドロッセルマイヤーズ渡辺範明

 

2018年度から2019年5月にかけて、ジエン社は『ボードゲームと種の起源』というボードゲームを題材に用いた作品を創作します。それに際し、本ページでは主宰の山本健介が行ったボードゲームのクリエイターへのインタビューを掲載します。第一回は元(株)スクウェア・エニックスのゲームプロデューサーという経歴を持ち、現在は遊びと創作ボードゲームの会社『ドロッセルマイヤーズ』を経営しつつ、自身もボードゲーム作家として活躍されている渡辺範明さんを迎え、お話をお聞きしました。

作家のゲームの作り方

山本:今回の舞台『ボードゲームと種の起源』ではボードゲームを、そしてボードゲームの制作者を題材にしようと考えています。僕はボードゲーム制作の面白さはルールという名の法律を定めることと、たとえ破ったとしても罰則のない法を、プレイヤーにゲームの魅力で守らせなければいけないことにあると考えていて、そういうものを作品に反映させていきたいと思っています。
今日はルールを作ることについて、そして、ボードゲームを実際に制作するにあたってどのような過程を踏むのか、制作者は何を考えてゲームを作るのかということ聞いていきたいです。よろしくお願いします。

渡辺:よろしくお願いします。今回の演劇作品ではボードゲームを題材にするということですが、山本さん自身のボードゲーム歴ってどんな感じなんですか?

山本:元々ソードワールド などのTRPG を趣味でやっていたんですけど、ゲームマーケットなどのボードゲーム即売会には5~6年前から客として参加するようになって……っていう感じです。
今回の作品を作るにあたって初めて自分でもボードゲームを作ろうとしていて、この前試作したものではじめて遊んでみたんですが、話し合いが肝になるゲームなのに、ルールの把握に問題があるのかなかなか話し合いが始まらないという問題があって……。※

渡辺:話し合いが必要になるゲームを作るなら、話し合いが生まれるような、話し合いのためのルールを考えなければいけないですよね。

山本:試遊のときは5人でプレイしたんですけど、もともとが4人を想定して作られたゲームなのでプレイしてみると頭で考えていたときと感覚がけっこう違いましたね。

渡辺:ゲームのプレイ人数による構造の変化はありますね。2人プレイと3人プレイの違いが一番わかりやすいですが、1対1の対戦は基本的にゼロサムゲームで、3人以上のマルチな状態に変わると相互性が複雑になり、ゲームの勝敗に駆け引きや偶然性の要素が強くなります。

山本:『ボードゲームと種の起源』では、「運の要素を嫌い、勝ち負けのないゲームを作ろうとしている」という設定の登場人物がいるのですが、ボードゲームの作家は普通どのようにゲームを制作するのでしょうか?

渡辺:人によってつくり方は大きく異なるので、はっきりは断言しづらいですが、僕はもともとがプロデューサー出身なので、お客さんや市場がどういうものを求めているか?そこに自分がどういう提案をしたいのか?というところから逆算的にゲームを考えていきます。もっと純粋に「作家」的な人は、自分が思う面白いゲーム、理想のゲームという発想からスタートする人も多いと思います。もちろんプロデューサー的な発想と作家的な発想は個人のなかに同居しているものなので、100%どちらか片方という訳でもないですけどね。

0から1はどう生まれ、1から終わりへどう結ぶのか

山本:ボードゲームの制作はアイデア勝負のように思えるところがあって、そこではクリエイターが0から1を生み出す瞬間があると思うのですが、実際の制作現場ではそういったことを感じることはありますか?

渡辺:0から1を生み出す、というのはアイディアの元が生まれる瞬間ということだと思うのですが、自分のようなプロデューサータイプはゴールからスタートを逆算して制作していくので、今回のプロジェクトで到達するべき「ゴール」を見つけた時がそれにあたるかもしれませんね。

山本:なるほど。では、先ほどの例で言うともっと作家性の高いタイプはまた違うわけですね。

渡辺:はい。山本さんが言うような0から1を生むようなデザイナーの能力にはおおむね3つの傾向があると思っていて、1つ目がアイデアの発想力、2つ目にアイデアを形にする構築力、そして3つ目が商品の完成度を上げる磨き込みの力。これらはいわばゲームデザインの腕力みたいなもので、作家タイプの方はこういう力をもってゲームをまとめ上げていきます。

山本:磨き込みという話を聞いて思ったのですが、ボードゲームはいったいいつ完成するのかということが聞きたいです。自分ひとりでゲームを作っていると、無限に足したり引いたりできるのでどのタイミングで完成と言っていいのかが分からなくて、プレイしている他者が見えないというか。

渡辺:それもいろんな基準がありますが、ボードゲームはプレイヤーが実際に遊んだときが完成だと思います。パッケージとして販売してお客さんが遊んでくれることももちろん完成ですが、知り合いの誰かと内輪で楽しめれば、それもいわば「小完成」です。そういう意味では山本さんが作ったゲームも小完成を迎えていると言えますね。

山本:現状、そんな感じはしないのが問題ですね。

渡辺:ご自分で満足いくデキではないということでしょうね。例えば、絵を描くことは誰でもできるけれど、上手に描くためにどうすればいいか?ということになると全く次元の違う話になりますよね。それは技術がある人にしか分からない。その技術というのが、さっきのゲームデザインの腕力みたいなことですね。

面白いと面倒くさいの間で

山本:先ほどもお話しさせていただきましたが、僕にとってはやっぱりルールを作ることが面白くて、罰則のないルールを作ること、そしてプレイヤーは自分からルールに縛られにいく。ルールのゴールがないことに面白さを感じます。あるけれど、ない。ないけれど、ある。その曖昧さを気に入っています。

渡辺:先ほどお話したように、プロデューサー型の人間が作ろうとするものにはわりとゴールというか、完成形のイメージがあります。山本さんはルールが発生したり、進化するプロセス自体を楽しんでらっしゃるから、ゴールが重要ではないんでしょうね。ただ、一般的なゲームデザインの原則で言えばルールはプレイヤーを誘導するための「手段」であって「目的」ではないので、ルールだけが先行しているゲームはなかなか面白くならなかったりもしますね。

山本:今回お見せしたものは、元々人狼 をやっているときに発生する手持ち無沙汰な時間でまた別のゲームができたらいいなと発想して制作したんですが、これを面白くするにはどうすればいいですか?

渡辺:山本さんのゲームは人狼という面白さがあるうえで、別のものを足そうとする足し算の作り方をされていますよね。ですが、ボードゲームは元々ある面白さに対して、別の要素を足すことで面白さが増すことは少なくて、むしろ減ってしまう…というか面白さが隠れてしまうことの方が多いです。それはデジタルゲームと違い、データの処理をするのが結局は人間であることが原因で、ルールが足されていくとプレイヤーの負担が増えてしまう。プレイヤーが処理する情報のキャパシティを超えると面白さが認識できなくなる。これはボードゲームにおいては致命的なことで、ここまで苦労した割に、面白さの取れ高がたったこれだけかよ!ということになってしまいます。実際ボードゲームにおいて拡張版がそれほど売れないのもこの辺りに原因があるかもしれませんね。足せば足すほど面白くなるならみんなどんどん足していけばいいと思いますけど、現状そうはなっていない。

山本:そう考えると現在の将棋も削っていった形のものですよね。一度、大将棋 、魔訶大大将棋みたいに巨大な盤が生まれて、今は結局一番小さな盤が四百年間続いている。

渡辺:むしろ、製作途中のゲームがつまらないときに検証すべきことは「なにか余計なものが入っていないか」ということですね。一度、いま作ろうとしているゲームが成立する最小限のスケールまで要素を削ってみると良いと思います。ジャンケンの3すくみを、それだけではつまらないといって6種類に拡張しても、ただ面倒くさくなるだけで面白くなることはないですから。

山本:なるほど。個人的な話になりますが、僕が重ゲー に魅力を感じづらい理由がわかった気がします。

渡辺:もちろん、重厚なゲーム、めんどくさいゲームの面白さというのも間違いなくあります。遊びって本来無駄なものなんですよね。やらなくてもいいことをわざわざするということは遊びの本質でもあって、特にゲームの場合はやらなくてもいい苦労、乗り越えなくてもいいハードルをわざわざ用意して乗り越えて「やったー!」と喜ぶメディアであるともいえる。しかもそれがあまり簡単に乗り越えられるものだと面白さを感じづらく、ギリギリ乗り越えられるくらいの高さのハードルに快感を覚えるじゃないですか。だから、ルールの説明や理解がめんどくさいとか、遊ぶ場のセッティングが大変であるとか、そういうこともゲームの魅力になることはあります。でも作り手はまず、最小限の仕組みで遊びをデザインしようとしたほうが、少なくとも完成には近づくでしょうね。

境界を溶かす。分断をつなぐ。

山本:話を聞いていると、ボードゲームの制作ってゴールというかターゲット層を、ゲームを作る段階から意識しているかどうかっていうところになってきますよね。ボードゲームをやりたいという明確な意思がある人、触れたことはないけれど面白いものをやってみたいっていう人、関心や見方が多岐にわたる人の中で、渡辺さんの場合は特にこういう人にプレイしてもらいたいとか、取り込んでいきたいとかって、どういうところにありますか?

渡辺:最近はお客さんの層をどこにするか?みたいな課題の置き方はあまりしてないですね。しいていえば、ドロッセルマイヤーズの今後のテーマでもあり、チャレンジしたいと思っているのは、いきなりこんなこと言われてもわかりにくいと思いますが(笑)『社会とゲームを馴染ませる』ということです。ちなみに7年ぐらい前にドロッセルマイヤーズを設立したときのテーマは「ボードゲームを日本に根付かせる」ということだったので、もっとはっきりライトユーザーや非ゲーマーに向けてゲームを作っていこう、という意識がありました。中野ブロードウェイに店舗を構えたのも、そういう必要性を感じたからだったりもします。でも、現在はその役割もそろそろ不要かなあ…?と思っているところがあって、お客さんを増やすことよりも、そもそも「遊ぶ人と遊ばない人」という分断そのものを無くしていく、曖昧にしていくのがいいんじゃないかなあと思ってきたんですよね。

山本:遊ばない人にゲームをさせるのではなく、曖昧にさせる方向なんですね。

渡辺:いろんな境界線を曖昧にしていくというか…。つまり、ゲームとゲームじゃないものの境界線、ゲームを遊ぶ人と遊ばない人の境界線、ゲーム業界と一般社会の境界線とか、そういうものをボンヤリさせる。それを自分たちの今後のテーマにしようと思っています。ライトな人にライトなゲームを提供するのも、マニアにマニアックなゲームを提供するのも、それぞれに特化した得意な人たちがいっぱいいます。なので、ドロッセルマイヤーズはもっと微妙な立ち位置で、微妙なことをしていきたいと感じています。

山本:広げる、知らない人に布教する宣教師ではなく、中間地点に立つ。そこにいるのはどういう人なんだろうって疑問はありますね。しかもこれはダイレクトに演劇の問題でもあると思いました。演劇にも分断があって、2.5次元演劇が好きっていう人が増えてきた中で、その人たちは小劇場的なものには手を出さない。同じ芝居をやっている同士、極端に広く言えば芸能界という中で、根本は同じはずなのに分断がある。

渡辺:2.5次元と小劇場ではお客さんも違えばビジネスとしての業態も全然違いますし、演出家や役者さん達にも分断があるわけですか?

山本:はい。目的の違いも含め、大きな分断を感じます。そういったところで曖昧にしたいという考えはなるほどと思いつつも、どういうことなのかと思うところはあります。

渡辺:ゲームというメディアは今すごく社会に広がっていて、スマホアプリを中心にビジネスとしても活況ですし、eスポーツ など文化としても花開いている感じがあります。しかし、勢いのあるメディアというのはそのぶん社会とも摩擦や衝突が起きやすくなりますから、例えば重課金の問題であるとか、ゲーム依存の話とか、ダークな話題も出やすくなります。そこで、社会とゲームを上手くなじませるということが大きなテーマになるんじゃないかと思いました。

山本:演劇と社会をなじませたいというのは僕も同じで、裾野を広げるというのは少し違って、マニア層のようなコンテンポラリーなものをやって国から助成金を貰ってごく少数のディープなお客さんに見せるというのも少し違うと最近は思っています。

更新される定義たち

渡辺:近々発表するドロッセルマイヤーズの新作で試したいと思っていることは、場の「主役」になるようなものすごい傑作ゲームを発売するのではなく、うまく「脇役」になれるような、ほのかな魅力のあるゲーム、という微妙な(笑)シリーズを立ち上げたいと思っています。ゲームを遊ぶために人が集まるのではなく、たまたまその場に集まった人と無理なく遊べるゲーム。ちょっと大げさな言い方になってしまいますが、そういったゲームが一般社会とゲームの世界を曖昧にしていくきっかけにならないかなあ…と期待しています。考えてみれば、私たちがもう何年も続けている「ボードゲーム制作ワークショップ」の活動も、「ゲームは誰にでも作れるよ!」ということを発信していくことで、「ゲームを作る人と作らない人」「ゲームを作る人と遊ぶ人」の境界を曖昧にしていきたいということでもありました。今回、山本さんという他分野の方からこういうお話の機会をいただいたことも、なにか境界を崩すことのきっかけになるかもしれないし、面白いです。

山本:ありがとうございます。ただ、個人的な考えなのですが、すべての人間がゲームや文化的なものを楽しむことが出来るかということには疑問があって、みんなが遊べるゲームとそうでないゲームの可能性の幅が気になっています。演劇にも演劇好きが見るような演劇と誰でも見ることができる演劇があるように思えて、その衝突を考えたとき、ゲームも演劇も作られる時点で対象がある程度デザインされているということ。そして、デザインを作るのは人間観や思想なんだと意識させられました。ドロッセルマイヤーズさんのゲームのように、作り手の持つ思想によって、ルールがいわゆるゲーム的な面白さを求める方向からもっとコンセプチャルなものに変わる場合もあるんですね。ゲームのデザイナーはみんなそのことを意識しているんでしょうか。

渡辺:どうでしょうね。まあ僕は単純にそういう話題が好きなので、ついついそういうことばかり考えてしまうというのもあるんですが、あくまで「中心」あってこその「境界」なので、もっとボードゲームという文化のど真ん中が好きなんだ!というクリエイターもいっぱいいて欲しい…というか、そのほうが多数派だとは思います。あと、僕はデジタルゲーム業界の出身ということもあって、アナログとデジタル、二つの異なるゲーム文化の狭間で双方の通訳?というか広報?のような役割をしてきたせいもあるかもしれません。

山本:なるほど。渡辺さんにとって、ゲームの定義とはなんでしょうか。

渡辺:数年前からずっと、『ルールによって面白さが作られている遊びすべて』と説明しています。つまり逆に言えば、面白くなければゲームじゃないということですね。この定義の好きなところは、「面白さ」というのはもちろん主観的なものですから、何がゲームか?という定義も結局は個人やシチュエーションによって変わってきてしまうというところです。僕はこの「揺らぎ」がとても大切だと思っていて、実際のところみんながなにをゲームだと思っているのかを調査して回りたいぐらいです。そのためのひとつのヒントとして、例えば映画、マンガ、アニメなど「物語の中に登場するゲーム」にものすごく魅かれます。時代や文化的環境によってゲーム観が推移していくのを見るのは楽しいですし、ゲームというものの幅の広さ、揺らぎの大きさに痺れますね!

山本:ピーター・ブルック という演劇人が『何もない空間』という有名な著作の中で、なにもない空間をひとりの人間が横切って,それをもうひとりの人間が見ているだけで,演劇は成立するという定義を打ち出しています。この定義に則れば、たしかに誰もが演劇をすることができるのかもしれない。ただ僕は、本当に演劇は誰にでもできるかということには懐疑的で、見ることはともかくとして、演者側に立つのは誰にでもできることではないのではないかと疑問を持っています。僕は、少なくとも僕が作ろうとする演劇は取りこぼすものがある。何が取りこぼされてしまうのか。取りこぼれるものたちとの思想の衝突を描くことで物語が深まっていく予感がしています。

山本:本日はありがとうございました。とても有意義なインタビューになりました。

渡辺:こちらこそ!少しでも山本さんの舞台づくりのヒントになれば幸いです。本日はありがとうございました。

(構成・文=佃 直哉)

渡辺範明さん、アフタートーク参加決定!

こちらの対談に参加していただいた渡辺範明さんに、劇後解説(アフタートーク)に参加いただくことになりました。
作・演出の山本とともに、ボードゲームと演劇について、ゲーム作りについて、お伺いする予定です。
山本x渡辺のアフタートークの回は12月11日(火)19:30の回です。

チケットのご予約はこちらからどうぞ
https://stage.corich.jp/stage/95624/ticket_apply

The end of company ジエン社
『ボードゲームと種の起源』12月公演
脚本・演出 山本健介

場所:アーツ千代田3331 B104
2018年 12月11日(火)~12月16日(日)

公演詳細